休日の新都は、いったいどこにこれだけの人が住んでいるのかと尋ねたくなるほどの人で溢れかえっていた。

 友達とでも遊びに来たのだろうか、家族で休日を満喫しに来たのだろうか、それとも仕事だろうか。

 生憎、俺は柄にもなく緊張していてそんなものに気を配っていられなかった。

 奇妙な焦燥感に駆られながら、新都の駅前で一人立ってまだ十分程度。

 何度も何度も時計を確認して、時間はまだだと言い聞かせる。

 全く、こんな姿を遠坂辺りに見られたら何を言われるだろうか。

 指を指されて大笑いされるのだろう。

 でも、そんなの仕方がないじゃないか。

 以前は失敗、喧嘩の挙句どっかのバカの所為で死に掛けたんだ。

 正直、何をすればいいのか全くと言っていいほどわからない。

 ああ、ったく。

 少し強めに頭をかき、軽く息を吸う。

 そして溜まった空気をゆっくりと吐き出して溜息をつく。

 らしく、ない。

 でも、悪い気はしない。

 それどころか嬉しいぐらいだ。

 と、そんなことを考えるのに随分と時間を使ったらしい。

 時刻は午前九時。

 俺を見つけたあいつが笑顔で駆け寄ってくる。

 それを確認して、俺も笑顔を浮かべ彼女へと歩き出した。 


手を繋ぎ共に行く――――


 事の始まりは金曜日。食事後の談話の時に遡る。

「そういえば士郎って、アルトリアと遊びに行ったりしないの?」

 あかいあくまのそんな一言が切欠だった。

 その一言を皮切りとして、やれ桜が酷いと言ってきたり、やれイリヤが鈍感と言ってきたり、やれアーチャーが不敵な笑顔を見せたり、やれギルガメッシュに説教されたり。

 最後は定番の虎竹刀一文字。ちなみにマーリンの強化付きというデンジャラスな一撃だ。
 蛇足だが今回の台詞は「女の子をなんだと思ってるのこの馬鹿ったれーー!!」だった。なんでさ。

 で、ここまで来て終わるはずもない。
 気が付いた時には衛宮家フルキャスト――遠坂、イリヤ、桜、藤ねえ、アーチャー、ランサー、ライダー、ギル、ベディ、マーリンを指す――によって週末のデートを約束させられたのだ。
 意味深だったのが、ギルが一万円札を三枚ほど突きつけてきたことだ。
 ……何か悪い物でも食ったのか英雄王。

 まあ大体はわかってるんだけど。
 先日のベディとの話以来、何かと小さなミスばかりしていたからだ。
 珍しく寝過ごして遅刻しかけたり、塩と砂糖を間違えたり、気が付いたら授業が終わっていたと、改めて考えてみるとこれでもかってくらいに不安を煽らせていたと思う。
 でも、こればっかりはどうしようもない。何せ自分でも何なのかわからないのだ、誰かに相談しようとも、巧く伝えられそうもない。
 もしかしたら、なんとなく気分が鬱になっているだけかもしれない。うわ、もしそうなら早めに病院に行った方がいいんだろうな。

 で、週末のデートに関しては幸いなことにその日はバイトも入ってなかったし、別段予定も何もなかったので反抗はしなかった。
 ……断じて、アルトリアに涙目+上目遣いで「シロウ、迷惑ですよね……?」と聞かれたからではない。断じて違う。……ほんとだぞ?

 まぁいろいろあったが、結果として俺とアルトリアは日曜日にデートを決行することになった。
 これが、今に至る過程である。……深くは突っ込まないでくれると嬉しい。

 

「シロウっ」

 まったく、俺というやつは本当にどうしようもない。
 こんな風に嬉しそうな笑顔を見せられただけで、考えていたものなんてどうでもよくなって。きっとこれからも、俺は彼女に勝てないだろうって、心から思ってしまう。

「待たせて申し訳ありません、その、凛と桜が放してくれなかったのです」

 走ってきたせいだろうか、顔は僅かに赤みを帯びて初々しさを醸し出している。
 少し息が上がっていることから、急いで来たと想像するのは難しくない。何せ、剣の訓練では一度も息を乱さないアルトリアだ。そんな彼女が顔を赤らめて息を切らせるなんて、どれだけ急いできたかは推して知るべきなのだろう。
 ただ、それだけのことだっていうのに焦燥感は吹き飛んで、眼球は彼女だけに向けられて、物珍しげにこちらを見ていた名も知らない野次馬たちのことも消えてった。バクバクいってた心臓もトクントクンと正常に脈動し、ここだけが世界から隔離されたような不思議な気分だ。

「別に俺は構わないぞ?
 それにしても遠坂のやつ、なんで態々ここで待ち合わせさせたんだろ?」

 そう、同じ家に住んでいるのだから一緒に出ればいいものを、何故か遠坂に却下された。……正確に言うなら遠坂だけじゃないんだけど。
 この辺りがわからないのは悪いかもしれないが、あそこまで責められるようなことなのだろうか。

「――はぁ」

 アルトリア、なんでそこで溜息を付くんだよ。それにきっちり聞こえてるぞ、なんだその「シロウはシロウですからね、期待なんかしてませんよ」って。

「――」

 思っても、言わない。多分言っても冷たい目線が帰ってくるだけだろう。……なんでさ。

「あー、いや、まぁ。
 それより今日は髪下ろしてるんだな、アルトリア」

「え――ええ。凛と桜に散々弄られましたから。時間が来たと言って逃げてきましたが、今頃はライダーが犠牲になっているでしょう」

 彼女には悪い事をしました、南無。と手を合わせて言うアルトリア。どうでもいいけど、そんな知識どこから取ってくるんだろうか。

「後でライダーにお礼言っとかなきゃな」

「そうですね。彼女のお陰ですから」

 アルトリアは俺から視線を外して苦笑する。何故だろう、酷く不安だ。

「で、その髪――うん。日の下で見るのは二回目だけど、似合ってる。
 正直、アルトリアに見惚れてた」

「シ、シロウ!」

 あー、首筋まで真っ赤になってる。多分俺も似たようなもんだけど。
 二人揃ってこういうことに免疫がないせいで、事あるごとに真っ赤になってたりする。
 更に性質の悪いことに、どっちもあまり深く考えずに思ったままを口にしてこれだ。なまじ相手が本心から言っていると理解できるので照れるわけだけど。

「うん、いつもの髪もいいけど、こういうのもいいな」

 アルトリアの服装は基本的に青と白を主体とした清楚なものが多い。聖杯戦争中に着ていたものと似通ったデザインの衣服ばかりだ。今着ているのもそれに通じた物だが、髪型が違うだけでここまでとは思わなかった。

 編み込みではなく、ほどかれた金の髪。彼女が一挙一動するごとに宙を舞う姿を見て、何故だか酷く動揺した。
 まずい、本当にまずい。
 どくんどくん、と徐々に激しくなっていく心臓の鼓動。
 ああ、衛宮士郎はとりかえしのつかないほど魅入ってしまった。
 以前のバスで感じた違和感よりも、もっと確かで暖かい。

 知っている、これがアルトリア。

 そんな無意味なことを思うくらい、俺は錯乱しているらしい。

「そう言っていただけると、私としては嬉しい。
 私はあまり女性らしい体つきとは言えませんから」

 落胆を含んだ言葉を聞いて――少し、怒りが沸いた。
 錯乱していたのなんか全部ふっとんで消えた。
 心に残るのはただ沸き起こる怒りだけ。

「それは違うぞ。アルトリアは誰が見たって立派な女の子だし、それは俺が一番良く知ってる。
 それにアルトリアの体格がどんなだって、俺はアルトリアのことが好きだからな」

 どれだけアルトリア本人が否定してもこれだけは譲れない。
 だって衛宮士郎は、もうどうしようもないくらいアルトリアに囚われているのだから。

「――あの、シロウ」

「ん、なんだ? 何があっても今のは撤回しないからな」

「その、そうではなくてですね」

 顔を真っ赤にしたまま、アルトリアが忙しなく視線を周囲へと移す。

「あ」

 それで、俺たちが周囲の人たちの注目の的になっていると気付いた。そりゃあもう、好奇の眼差しとやっかみの眼差しが痛いほどに。
 元々アルトリアは目を見張るほどの美少女だし、俺の橙の髪だって割と珍しいのは確かだ。
 しかもどうみても俺とアルトリアじゃ釣合いが取れないし。

「と、とりあえず行こう。ここに居る必要もないわけだし」

「そ、そうですね。では行きましょう」

 周囲の視線から逃げるように、俺とアルトリアは走り出した。

 

 

 で、着いた先はベェルデ。完成してから半年と経っていない新しいデパートだ。
 間違っても前回のデートで昼食を摂った川沿いの喫茶店には行かない。あの店の法外な値段には正直辟易したし、アレ以上の紅茶も淹れられるようになった。
 ……アーチャーにチクチク嫌味を言われつつも頑張った成果である。しかし何だかんだ言っても、アイツも元は衛宮士郎だ。家事全般に関してもしごかれたが、決して粗雑な教えではなかったし。

 とりあえず、ベェルデでモーニングを頼み、軽い朝食を終えて今後の予定を立ててみる。

「で、これからどうしよっか」

 コーヒー片手に尋ねると、アルトリアは溜息を付く。
 ああ、なんかもうその仕草で何を言われるか想像は付いた。

「……驚いた。シロウはまた何も考えていなかったのですか?」

「ああ、やっぱり俺はこういうのに向いてないらしい。
 だからアルトリアは、どこか行きたい所とかあるか?」

 俺は別に行きたい所、というのはない。
 大体俺だってそういうのには疎いし、興味がなかったから仕方がないじゃないか。

「私ですか……でしたら、以前と同じ場所を回りませんか?」

「それでいいのか?」

「以前と同じ道ですが、私たちは以前と違うでしょう?」

 確かに、そうか。
 同じ道を辿っても、それ以前に俺たちはあの時とは違う。
 理想を求めて、死を掻い潜って、そんな中の一時の小休止ではない。

「そう、だな。じゃあ楽しもうか、アルトリア」

 これは、日常の一時。
 彼女との大切な思い出なのだから。

 

 

 ――以前と同じようにブティックに寄った。
 アルトリアはあんまり派手な服は好みじゃないらしく、矢張り白や青を基調とした服がいいらしい。
 他の色でも似合うと思うけど、それを言ったら何故か真っ赤になってた。なんでさ。

 ――前回と同じく映画をきっちり避けて通った。
 興味深そうにしてたけど、今の映画には疎いので今度調べて連れてきてあげようと思う。
 あまり面白くないものを見せても、仕方ないし。

 ――体を動かすのは視線が集まるのでよろしくないと前回から学んでいる為、ボーリングは外した。
 マーリンからの情報によれば、勝負事には本気になるタイプらしいので良かった。
 アルトリア自身、あまり乗り気ではなかったようだ。

 ――見付けられなかった水族館を今回は見つけて入ってみた。
 水槽の中を悠々と泳ぐ魚の群れを見て、呆然としていたアルトリアが印象的だった。
 印象的だったのは、ペンギンを見て魅入ってしまったことか。

 で、今は新都の公園で一休みしている。
 ベンチに座って持参のサンドウィッチを広げ、魔法瓶に入れてきた紅茶を飲む。
 以前は思念が渦巻いていたけれど、マーリンのお陰かそれも殆ど感じない。
 少し古ぼけたベンチに座り、雑草で舗装された地面の上を楽しげに歩くアルトリアを見る。
 ただ雑草が生えているだけだったこの公園も、今は色とりどりの花が咲いている。憩いの場所、とでもいえばいいのか、不自然でない程度の神聖さが心を和ましてくれる。
 周囲にいた何十羽もの鳩が俺たちに寄って来て、アルトリアはその鳩の対応にサンドウィッチ片手に苦心している。だけど、その表情には喜びがあった。

 前回ではほぼ無反応に近かったアルトリアも、存外楽しんでくれているようだ。
 行った場所も、その内容も、前とは多少の差異はあれど大して変わりないというのに。
 心次第で、こんなにも違って見えるというのだから不思議なものだ。
 間違いなく、以前とは比べるまでもなく楽しい。

 輝いて見える。
 自分とは縁遠かった全てが、これほどまでに輝いて見える。
 それは、きっと一人じゃないからだろう。
 彼女と、一緒に見ているから。
 だから、こんなにも楽しくて、輝かしい。
 ただ、それだけのことなのだ。

 それに、俺も変わったからだろう。
 友人たちと新都に遊びに来たことはある。でも、俺は楽しもうとしてなかった。
 勿論、一緒に来ていた友人たちには悪いと思ったがそれでも楽しめなかった。
 だって俺は、そんな風に楽しむ権利がないと思っていたから。
 他の全てを見殺しにして、俺は今ここにいる。周囲の助けを求める人々を贄として、俺は今こうやって生きている。そう、俺は生きているのだ。
 生きるということはこの上ない幸せだと思っていたから、これ以上幸せになっちゃいけないって思ってた。それは俺には過ぎた宝。あまりにも分不相応。
 あの惨状から生き延びるという幸福を得て尚、貪欲に幸福を求めるなんていけないことだと。

 そう、思っていたんだ。

 だけど――変わった。
 ただ無為に生きるんじゃなくて、意志を貫くってことの美しさをこの目に確かに焼き付けた。
 血に染まった体で骸の山に辛うじて立つその姿を、自身を殺して、ただ一心に救いたいと思った少女の心を、ただ美しいと思った。
 決意を秘めた瞳を、意志を籠めた背中を、覚悟を決めた勇姿を美しいと思い、だからこそ憧れた。
 穢れることなきその純粋な思いに心打たれた。
 そして、定められた別れ。
 永遠の別離を経験して気付いたのは、俺は憧れただけじゃなくそんな彼女を、どうしようもなく愛してしまっていたのだという明確な事実。
 正直に言うと、呆れた。
 失くしてから大切だと気付くなんて、どうしてだって。どうして、こんなにも愛していたのに気付かなかったのかと。俺は、自分の認識以上に彼女を愛してたんだ。
 だから再会した時は、都合のいい夢なんだと思った。

 でも、現実にアルトリアはここにいる。
 隣で、笑っていてくれる。

 それが……それが、どれほどの幸福か。

 不安もある。今でも俺は夢を見てるんじゃないかって。
 でも、いいんだ。
 きっと、この不安はずっと続いていくんだろう。消えることなんてないんだろう。
 それでも、構わない。
 だって、どんなに不安だって、彼女の笑顔を見たらそれだけで不安は消えるから。

 でも――――。

「シロウ、何か?」

 相変わらず燻り続ける、悪寒にも似た何か。

「いや。ただ、幸せだなって」

 ――そして皆さんも、きっと信じているのでしょう――

 不意に記憶の海から浮かぶ言葉。
 それは、ゆっくりと心を蝕んでいく。
 惑いなく、じわじわと、侵すように――――。

 

 

 で、遂に来ました、ぬいぐるみ店。
 各所に設置されたややくすんだ色の照明と、温かみを感じさせる木製の陳列棚。足元もフローリングで出来ていて非常に落ち着く造りになっている。
 だっていうのに、雰囲気は以前と変わらず男である俺を排斥しようとする思念で満ちている気がしてならない。というか絶対気のせいじゃない。

「う……」

「シロウ? どうかしましたか?」

 心配そうに覗き込んでくるアルトリア。その表情は確かに心配そうだったが、隠しきれていない待望があった。

「い、いや…なんでもない。行こっか」

「はい♪」

 そんな顔をされたら、多少の居心地の悪さは我慢するしかないだろう。
 これが、惚れた弱みというやつだろうか。

 まあ、それでもいいと思えてるんだから救いようがないんだろうけど。

 で、前回と同じく動物コーナーへ。
 しかしそれでもそこへ至る道は長く険しい。一度訪れたといっても、完全にこの店を把握しきれていないし、やっぱり周囲の目が痛い。
 俺からすれば無駄に広い店内に、人知れず嘆息する。落ち着く造りなのに、どうして俺はこんなに憔悴してるんだろうか。
 アルトリアが居るからまだマシなんだろうが、それでも痛いものは痛いのだ。
 だっていうのに、アルトリアは目を輝かせていろんなぬいぐるみを手にとって真剣に見ている。

「あー、アルトリア」

 呼ぶと、まるで今気付いたように慌ててこちらを見る。

「な、なんでしょうかシロウ。私は別に見入ってなど…」

「いや、大きさにもよるけど一個だけ買ってあげようか?」

 何せギルガメッシュのお陰でエンゲル係数による経済状況の圧迫は防げている。流石英雄王、流石黄金律。ギルガメッシュが幾分かは援助してくれているので、懐事情はそれほど寒いわけではない。
 ……っていうか、サーヴァント連中はともかくなんで俺が遠坂と藤ねえの分まで払ってるんだろう。桜? ああ、桜は今まで世話になったからいいんだけどさ。

「い、いえ。普段からシロウには食事なり衣服なりお金を使わせてしまっている。これ以上は流石にダメだ」

「気にしなくても良いって。これはアルトリアへのプレゼントだから」

「そうはいかない。今でさえシロウを圧迫しているというのに、これ以上負担はかけられない。
 シロウとて何か欲しい物があるでしょう。それを私の為に使うのは心苦しい」

 なんて、人形を確りと握り締めたまま言う。
 無意識なんだろうが、こんな仕草を見せられたらとてもじゃないが譲れない。

「だからいいって。俺だって聖杯戦争の時は散々迷惑かけたしさ。それに――
 ――アルトリアの嬉しそうな顔を見れるならこれくらいは、さ」

 その一言で、目に見えて表情を輝かせるアルトリア。
 ここまで反応してくれれば、言った甲斐があるというものだ。

「そ、そこまで言われれば吝かでもありませんが…」

 チラチラとこちらを見ないように視線を泳がせ、何でもないように装って声を出す。……どうやら、アルトリアは嘘をつくのが苦手なようだ。っていうより無理なんだろう。

「んじゃ、決まり。
 好きなの一つ選んでくれ」

 言うと、僅かに紅潮した顔をこくりと頷かせる。
 それを見てかわいいと思うのは、やっぱり惚気なのだろうか。 

 嬉しさと、それを隠そうとしている微妙な表情でぬいぐるみを見て回るアルトリアを見て、そんなことを考えた。
 ……早く選んで出たいなぁ、とも思ったけど。

 ちなみに最終的に店を出た時間は、約二時間後だと言っておこう。

 

 

 店を出ると既に空は僅かに朱がかっており、日が暮れるまでにそう時間はかかりそうにない。日中の暖かさも徐々に薄れ、涼しさを伴った心地よさが感じられる。

「シロウ、もうすぐ日が暮れますが……どうしますか?」

 先ほどのぬいぐるみ店で買ったのは三十センチほどの獅子のぬいぐるみ。それが入った紙袋を大事そうに抱えてアルトリアが訊いてくる。

「名残惜しいけど、帰ろうか。あのメンツに任しとくのも不安だし。何かリクエストがあれば作るけど」

「いえ、シロウの料理は美味しい。特別何か指定しなくても十分だ」

 胸に手を置いてうっとりと答える姿を見て、今日は少し豪華にしようと思った。

 衛宮家の経済状況を知っているアルトリアは、最近特に遠慮がちだ。
 幾らギルガメッシュから投資してもらっていても、矢張り限度がある。かといって、額を増やしてもらうのもどうかと思うので節制をしているのだが、それを知られてしまったのだ。

 そういった事情から、アルトリアは最近食事の量を減らしている。何でもないように装ってはいるが、やっぱり足りてないんだろうと思う。
 ……決めた。今日は、アルトリアの分を少し多めにしてあげよう。
 幸いに材料はまだあるので、このまま帰りに買う必要はない。

 夕食の献立を考えながら、アルトリアと新都を歩く。

 そして、アルトリアがふと立ち止まった。

「どうしたんだ?」

 言って、俺も足を止める。

 アルトリアは無言のまま、ある光景を見ていた。

 

 夕暮れ時、手を繋いで歩く母親と男の子。
 男の子は楽しそうに母親に何かを喋り、母親はそれを慈しむように聞いていた。
 繋いだ手は確りと握られ、母親は男の子の歩幅に合わせててくてくと歩く。

 それはなんでもない、日常の一風景。
 平穏で、暖かな情景。
 親子の柔らかな安穏。
 それを――

「………」

 アルトリアは、哀しげに見つめていた。

「アル、トリア?」

「っ!」

 弾かれたように顔を上げ、わたわたと慌てるアルトリア。
 一端落ち着かせ何があったのかを聞こうとするが、彼女は顔を横に振った。

「さぁ、行きましょう。ここに長居する必要はありませんし」

 らしくなく、気まずそうに歩き出す。
 まるで、居た堪れないように。
 何かから逃げ出すように。

「お、おい」

 そのまま突っ立っているわけにもいかないので、歩き出したアルトリアを追う。
 追いついた時、アルトリアはなんでもないように俺に微笑んだ。

「なんでもありません。大したことでもないので、気にしないでください」

 そうなのかもしれないけど何かが腑に落ちなくて、何かを見落としているようで落ち着かない。

 でも、結局何も言えずに頷くだけで、俺達は歩く速度を緩める。

 と、忘れかけていたことを思い出す。
 それは途切れてしまった会話を切り出すのに丁度良かった。

「アルトリア、ちょっとそこの本屋寄っていいか?」

「書店ですか、別に構いませんが」

 アルトリアに許可してもらったので、少し歩いた先にある本屋を目指す。俺はあんまり本を読むわけでもないのだが、参考程度に料理書を買ったりする。
 今回もそれに違わず、料理書を探しに来たわけだ。

 店内に入り、俺は料理書などの置いてあるコーナーへと向かう。何度か来ている為に望みのものが何処にあるかは把握できる。――俺の料理書の場合、入り口から左奥の棚がそうだ。
 アルトリアは特に見たい物はないらしく、適当に中を歩いてくるそうだ。
 新都の駅前に位置するこの本屋は、立ち寄る人が多く新都でも最大規模の大きさであり、様々な分類の書籍を取り扱っていることで有名である。
 もし気に入った本を見つけてきたら、値段次第では財布と検討してやろうと思いながら俺は選んだ本を片手に会計に向かった。

 向かう途中、ふと思い返す。心の奥に現れる澱みのようなあの感情はなんなのだろう。
 呆然と考えながら歩く。その事に深く考えすぎていたからだろうか。
 ――先ほど垣間見た、彼女の表情を忘れた。

 

 

<Interlude 5-1>

 

 隙間無く、しかし見易く並べられた本。
 規則的な並び方の本棚、そしてそこから覘く題名を流し見ながら私は溜息をついた。

 言っておくが、つまらないから溜息をついたのではない。
 むしろ、楽しかったほどだ。
 以前とは比べる必要もなく楽しく、有意義だったと思う。

 ブティックで服を見て回ったこと。
 水族館という場所で様々な動物を見て回ったこと。
 前回とは違って、ボーリングという場所は避けたこと。

 なんでもないようなそれが酷く楽しくて、目を覆うほどに輝かしい。
 それが、有意義でないはずがない。

 だとしたら何か。
 胸に詰まったしこりのような感覚は。
 もやもやと、何かが引っかかってとれない不快感、不愉快なこのナニカは一体なんだろうか。
 果たして、それはどんな感情からそう感じるのか、何故そんな風に感じたのか、何を恐れているのか。

 ――そんなもの、考える必要すらないではないか。

 楽しかったから、輝いていたから、夢のようだからだ。
 だから、だからこそ不安なのだ。
 楽しければ楽しいほど、輝いていれば輝いているほど不安は募る。
 それが夢幻だと知った時、その絶望は何よりも深く昏く終焉を迎えると、わかっているから。

 私は、私がどれほど度し難い罪人か知っている。
 許しがたい、幸福を得る権利のない咎人だと知っている。
 それなのに、私は今こうやって幸福を日常としている。
 これ以上の幸せを、望んでしまっているのだ。
 私よりも、もっと得るべき人たちを踏み捨てて、私は今こうやって幸福を得ている。
 民を救うべき王が、民を踏み台として幸福を得る。
 自分の息子すらこの手にかけた、私がだ。

 なんて、無様。

 歯を食いしばる。手を握り締める。
 無力で無能な私には、どれほどの苦痛であるのか。
 私は矢張りあの時に――

「あのまま、死ぬべきだったのか」

 朝露の混じった森の中で、この生を終わらせるべきだったのか。
 それとも、今のような生活ではなく彼らの為にこの身を裁くべきだったのか。

 どちらにせよ、今の私の状態は決して許されたものではない。
 それは、確かな事だろう。
 私はそんなことを噛み締められるほど、許されてはいない。

 目に付いた、アーサー王伝説の本を手に取る。
 ああ、良く知っている物語だ。
 多少の誤差があるものの、大まかな筋は間違っていない。
 小さな子供に聞かせる童話、しかしそれは私にとっての明確な罪の証でしかない。
 私が這い進んできた骸の道と、血の河を示す弾劾の軌跡だ。
 そして思い出すのだ。だから思い出すのだ。
 脳裏を掠める茶錆びた空と、大地に伏す敵の群れを。
 あの日々を、切り捨てた敵を、踏越えた味方を、何より救えなかった民が脳裏を過ぎる。
 何より、その返り血を浴びて屍を踏み蹴落としてきた自身の姿を思い出す。
 敵を、民を、兵を、臣下を、そして息子をも――殺した。
 自慢できる話ではない。伝えられるべき話でもない。
 私自身が、あまりにも無力だったから起こった悲劇。
 やり直せない、最早過去の出来事である。
 それでも、未だ手に残る感覚は罪の烙印だ。

「あ……ッ」

 忘れることなき、感触。

 

 血の繋がった息子を、殺したあの、瞬間、の――

 

「……怖い……」

 彼らを思う権利すらない私は、どうして幸せを受け入れてしまったのか。
 何がかはわからない、しかしただひたすらに怖い。
 彼らの、悲しみの声が聞こえてくるようで。
 ――助けてくれと、どうしてだと。
 彼らの、怒りの声が聞こえてくるようで。
 ――何故だと、裏切り者と。
 彼らの、弾劾の声が聞こえてくるようで。
 ――それが罪だと、それを贖えと。

「……冷、たい」

 頬を撫でる汗。鳥肌が立つような鋭い痛み。
 纏わり憑く血の怨嗟は、心をおかしくしてしまいそうだった。
 かつてのアーサー王ではなく、今のアルトリアにはその恐怖に怯えるしかできなかった。

 

<Interlude out>

 

 

 紙袋に入れてもらった本を片手に、店内をぶらぶらと歩く。目立つ所に置かれた新刊に少し目を奪われつつも、ゆっくりと歩きアルトリアを探す。だが意外と見つからないものだ、探し方が悪いのだろうか。

「あ」

 見つけた。一冊の本を開きただ無心に、それでいてどこか他人事のように視線を走らせている。

 俺は軽く問いかけようとして、止まった。
 彼女は俺に気付いたのか、悲痛そうな顔をあげた。

 ただ、沈黙で。
 黙ったまま、本に目線を落としていた。

 手に取っている本は、アーサー王伝説。
 彼女は、それを手に酷く辛そうな顔で立ち尽くしていた。

「……アルトリア」

「すみません。少し……休ませていただけますか」

 

 顔を俯かせ、悲痛な表情を浮かべるアルトリアの手を握って店を出る。カウンターの店員は怪訝そうな顔をしていたが、生憎とそんなものに気を取られているほどの余裕なんて俺にはないし、アルトリアもそんな場合じゃないだろう。

 目線を振り切るようにしてそのまま歩く。
 ただ何かから逃れるように、ただ何かを壊さぬようないよう会話もなく、ただ隣り合って歩くだけだ。

 そして、いつかの橋の上で止まった。
 以前は錆び付き不安を煽るようなこの橋も補修が行われた今は確りとしていて、新しく塗装された水色は小奇麗ささを感じさせる

 それでも、かつて俺がアルトリアへの思いを実感できた場所というのには、変わりない。

 仰ぎ見た空には群青が朱色を侵していくグラデーションが映った。橙の夕日はとうに落ちてしまったのだろう、空には僅かに姿を見せ始めた月と、細々とした雲がぽつぽつと浮かんでいる。

 あの日と似た、しかし違う風が俺たちを凪いだ。
 酷く、冷たくて痛いような風。

「――シロウ」

 静謐なその瞳を向け、彼女は俺の名を呼んだ。
 張り詰めた空気が罅割れ霧散し、その隙間に彼女の声が流れ通る。

「私は、自分がどうしようもなく救い難い」

 呆、と呟くようにアルトリアは言った。
 それは注意していなければ聞き逃してしまうほどに小さい。
 彼女の姿が、在り方が。どうしようもなく、儚く見えた。

「私は、こんなにも幸せで」

 一旦、区切る。
 それは迷いか、それとも唯単に嗚咽に邪魔をされただけか。

「不安に、なります。幾百幾千の血を浴び、死者を踏越え、国を救えなかった私が。
 守るべき、息子すらも手にかけた私が。
 こんなに、幸せでいいのかと。これは、都合の良い夢なのではないかと。
 私は、本当に生きていてよかったのかと」

 どうして、そんなことを。
 幸せなんじゃないのか?
 今を望んだんじゃないのか?

 だとしたら、どうして――――!?

「私は王だった。民を率い、国に安寧をもたらすことこそ王の使命だった。
 だというのなら、この体たらくはどうです?
 幸せに溺れ、血の丘を忘れ、同胞の願いを紡がず――」

 そんなこと、関係ないんじゃないか?
 おまえは頑張って頑張って、少女アルトリアを棄ててまで国王アーサーとして貫いて、何一つ自分の為に望まず、誰かの為に傷付き、傷付けてきたんじゃないか。

「最期の夢を見ようとし、そのまま惰性で汚くも幸せを啜って。
 私は、民や息子にこの幸せを与えられなかった!
 あまつさえ私が彼らに与えられたのは――!」

 ――――聖剣の刃という、冷徹なそれだけだったではないか。

 言葉にはならず、しかしそれは明確だった。
 命を賭して護り続けた国に裏切られ、護ってきた民や息子と剣を交えた。
 彼女が得たのは、皮肉にも“約束された勝利”だった。
 勝利は救済ではなく、ただの殺戮でしかなかった。
 結果としてそれは多くの民を薙ぎ払い、そうすることしか出来なかったというのに。

 自分の無力を嘆くように、アルトリアは橋の手摺を掴む。真新しい手摺は、かけられた圧力に耐え切れず僅かに軋む。
 それでも、アルトリアは俯いたまま力を篭め続ける。それは戒めのように、自身に対する憤りをぶつけているのだと理解できた。
 俺も、アルトリアが消えたあの日だけは自身の無力を嘆かずにはいられなかったから。

 だから、尚更のことだ。
 なんで、なんで俺は気付かなかったんだろうと。
 悩んでいるのは俺だけじゃないって。
 目先のことに、自分のことに気を取られて周りを省みなかった俺の方こそ、度し難いほど馬鹿みたいだ。

「――ばか」

 そう言わずにはいられなかった。
 震えた声は彼女に届くかわからなかったけど、ちゃんと聞こえたらしい。それならと、俺は言葉を続けることにした。

「シ、ロウ?」

「幸せでいいじゃないか。もし不幸なら、俺が幸せにしてやる」

 その言葉に、涙を溜めて微笑むアルトリア。
 けれど、彼女はゆっくりと、しかし確かに首を横に振った。

「この手で切り裂いた敵は、円卓の騎士たちは、祖国の皆は……きっと、許さない。
 だから、私は。 貴方と幸せにはなれない。誓いを、守れない」

 強く、紙袋を抱きしめる。
 顔を俯かせ、アルトリアは小さく震えていた。ただ、嗚咽だけが響く。
 救う者はいない。救われようとしない。
 果たして、それは容認できるものだろうか。

「そんなの――……そんなの、構うもんか。誰が責めたって関係ない。
 世界の誰もがおまえの幸せを否定したって、俺が認めてやる」

 認められるはずがない、認めてなんかやるものか。
 どうしてこいつは、ここまで自分を無碍にする大馬鹿なんだろうか……!

「例え世界中が敵になっても、俺は変わらない。だって、そんなのはおかしいじゃないか。
 おまえは、あんなに頑張ったんだろ? だったら…おまえが幸せにならなきゃ、おかしい」

 やっと、彼女を救えたと思った。
 でも、結局彼女はまだ救われていないし、俺には彼女を救うなんて無理かもしれない。
 ――だけど、それでも。
 誰も彼もなんて救えない。だからこそ。
 ――俺は、アルトリアという少女の幸せを守ると、味方になると言ったのではなかったか。皆の全ては救えないのだから、この少女の幸せだけは何としても守ろうとしたのではないか。

 それだけは、絶対に破れない誓いではなかったか――――!

「そうだ、決めたんだ。俺は誰も彼も救いたいって思った、それは間違いない。
 誰も彼も救うなんて子供染みた理想を求めてる。
 でも、それ以上に。

 アルトリアが、一番なんだ。

 理想はある。だけど、俺の理想はアルトリアが幸せじゃなきゃいけないんだ。
 アルトリアの幸せがあって、その上でしか目指せない。
 きっと、俺はアルトリアが幸せであることが一番で。
 他の全部とは、きっと比べられないんだと思う」

 ベディに言われた言葉を反芻する。
 確かに、俺は誰も信じられないのかもしれない。
 今だって、俺はこうやって彼女を守ろうと、そうすることで彼女に甘えようとしている。

「私は――…」

 それでも、そうなっても。
 これだけは言わなくちゃいけない。
 俺ほどじゃないにせよ、彼女も自分を省みない。
 人一倍傷つき易い癖に誰よりも傷つこうとするこいつに、甘えとか信じるとかそんなのじゃなくて、もっと単純な想いをぶつけてやりたかった。
 なんて言われたって、絶対に譲れない想いがあるんだから。

「許して、いいんだ。
 許されて、いいんだ。
 俺だけは変わらない、何にだって誓ってやる。
 俺は、アルトリアの正義の味方で在り続けるって」

 それは、決して違えることのない誓約だ。
 何に誓ったわけでもない、破ったからといってどうなるものでもない。
 だけど、衛宮士郎にとってこれほど意味のあるものはそう多くない。

「俺は皆に、アルトリアに救われた。
 幸せになって良いんだって、教えてくれた」

 そう、皆がいたから。アルトリアがいたから、俺は今も道を間違えずに歩んでいられる。
 得られるはずのない幸せ。そう決め付けて見向きもしなかった俺に、教えてくれた。

 ――幸せになるのに、権利なんていらないんだと。

「過去から逃げるのは悪い事じゃないと思う。でも、その思いから逃げちゃいけない。
 だから、背負っていこう。
 俺も、アルトリアの分を背負うから」

 今までの全てを捨てて、引き継いだ思いまで捨てて、それでも選んだ道。
 だからこそ、それだけの価値がある。
 他の誰かから見れば限りなく無価値だろうと、衛宮士郎には至高の価値がある。

「だからもっと我侭になっていいんだ。
 そうしないと、またおまえは自分を誤魔化すだろ?
 自分を誤魔化して、周りのヤツラも誤魔化す。
 前、俺はセイバーに言ったよな。自分を誤魔化すのは止めろって。
 俺は、在りのままのアルトリアが見たいんだ。
 せめて――俺には。

 アルトリアの、在りのままを教えて欲しい」

 きっと理屈は必要ない。
 打算もなければ下心もない。
 ただ、彼女の在りのままの笑顔を、素顔を見たいだけ。
 そう思っているのに、その下で計算できるほど俺は器用じゃない。

「ぁ――――……!」

 声にならない叫び。
 でもそれは、先ほどまで彼女が背負っていた暗い思いではない。
 それは叫びであり、それは涙だった。
 アルトリアの顔は見えない。だけどただ、彼女を少しでも救えたような気がした。

 

 黒々とした宵闇は、人工の灯火にうっすらと照らされる。新都からは多少離れたとはいえ、まだこの時間では閑散とした雰囲気はない。疎らながらに車が行き交っている。
 時折傍を通り抜けていく車に気を取られることもなく、俺とアルトリアは黙ったまま歩いている。
 沈黙、静寂。けれど先ほどのような痛さや辛さを感じるようなそれではなく、今はただ言葉が必要ないだけだ。
 歩き続けていつの間にか橋を抜けて広場を歩いていた。
 なんだろ、なんだか酷く気分が浮ついて、よく周りが見えていない。

「もう」

 アルトリアが、唐突に口を開いた。

「もうあの頃の寒さは、微塵も感じませんね」

 夜気を含んだ涼風に髪を揺らしながら、静かに微笑む。その微笑は本当に、俺が心から見たかった笑顔。
 歩を進めるたびに鳴る乾いた音からは、柔らかな彼女の心を伝えてくれる気がした。

 彼女が、彼女の為に笑った顔。

 柔らかなその微笑を、彼女は俺に向ける。
 屈託のない、心からの信頼を映した表情に一際大きく心臓が高鳴る。
 小学生じゃあるまいしと、必至に鼓動を落ち着けようとして、なんだかそれが酷く面白かった。

「ああ。戦争は終わって、また出会って、もうすぐ夏。
 気がついたら、こんなにも早く時間は流れてて」

 凍てついた夜気を纏う騎士。
 それは、背を預ける相棒としての初見だった。
 まどろみの中で抱擁した少女。
 それは、世界で最も愛しい少女としての再逢だった

 昨日のように思い出せる、でも今までの日々も思い出せる。
 瞬きすら忘れそうな咲き誇る思い出。
 それら全てが、幸福の証明。

「まるで、夢みたいだ。
 どうしようもなく、幸せなユメ」

 だからこそ、ユメのよう。
 完全ではないけれど、完璧ではないけれど、これはきっとハッピーエンドだ。
 現実じゃあそうは見れない、物語だけの歪な結末。だって衛宮士郎は、幼い頃から凄惨なまでの現実と、正義の味方という他者の為の夢しか見れなかったから。
 だからこの結末は、俺にとって素晴らしすぎるものだった。

「そんなことはないでしょう。だってあの日、シロウは私に言ってくれました」

 俺は、どんな顔をしていたんだろうか。
 アルトリアは俺の腕をそっと掴み、赤子をあやすように俺を見て言った。

「私を抱きしめて、全て現実だ、と」

 ああそうだ、夢現なアルトリアに、俺はそう言った。
 そして今も、紛れもない全て現実。
 積み重ねてきたものも、棄てて来たものも、新しく作ったものも。

 そう、現実だ。なのに、なんで俺は――こんなにも、不安なのか。

「シロウ?」

 呼びかけにはっとする。まったくどうかしてる、何をそこまで悩むことがあるんだろうか。
 アルトリアは心配そうに俺を見上げている。
 その顔を見て、少し罪悪感。どうやら、また彼女を心配させてしまったらしい。

「どうしたんだろ、なんでもない。
 とにかくだ、折角みんなここに居るんだから、この平穏は大切にしないと。
 きっと、こんな結末滅多にないんだから」

 俺の言葉に、彼女は一層顔を綻ばせる。
 釣られて俺も嬉しくなるあたり、なんかもうダメなくらいに惚れてる。

「だから早く強くならないとな、じゃないと皆を護れないし」

 冗談交じりに、そういってみる。
 半分は冗談だけど、本気でもある。少しでも力をつけて、誰も失わないように。折角のチャンス、皆が揃っているのに、こんなところで失うなんてゴメンだから。
 でもきっと今の力じゃまだ足りない。どうやらまた目標が増えたようだ。とりあえずは打倒アーチャーだが。
 するとアルトリアは酷く驚いた表情を一瞬見せ、すぐに笑顔へと表情を戻す。

「急がなくてもいい。私は、ずっと傍に居ますから。
 死を迎えこの身朽ち果てるまで、貴方が望む限りずっと」

 月を背に、静かな微笑みを零すアルトリア。
 それはどうしようもないくらい心を掴んで放さない。

「いつまでも皆に任せるわけにもいかないって。
 でも、ずっと一緒に居てくれるっていうのは嬉しい」

 あの火事の中と聖杯戦争の最中、そのどちらも俺には何もできなかったから。だから今度こそは、いつまでも皆に任せておくわけにはいかない。
 でも、そんな俺を気遣ってくれるアルトリアの言葉と思いが、とても嬉しかった。

「俺、アルトリアといっぱい思い出を作って、幸せになっていきたいから」

 ああ嘘じゃない。他の全てが嘘だって、これだけは嘘じゃない。
 欠陥だらけの衛宮士郎が、命を賭けたって嘘じゃないと言い切れる曇りない真実の想い。
 自分さえあやふやな俺にとって、それは祈りにも似た、儚くも確かな意思だから。
 聖緑の瞳に凛と向かい合って告げた言葉は、確かに彼女へ届いた。
 俺の言葉にアルトリアは笑顔で頷いて、何かに気付いたようにもう一度俺の胸に顔を埋めた。

「ア、アルトリア?」

 その不審な行動に困惑していると、彼女はこちらを見ないまま何かを呟きだした。

「す、すみません。ただ、今の私の顔はきっと汚い。
 だからシロウに見られたくないし、覚えていて欲しくもない」

 羞恥を含んだ声音で、アルトリアは言う。
 全く、さっきまではあんなに辛そうだったのに随分元気になったものだ。
 張り詰めていた俺の心も、彼女に少しずつ解されていく。
 俺でも、少しは役に立てたんだろうか。

「無理だよ、もう忘れられない。
 これも大切な思い出だから、覚えようとしなくても覚えちまうし」

 なんて、冗談めかして言うとアルトリアは首筋まで真っ赤にして抱きつく力を増してくる。
 とは言ってもそれは痛いような力じゃないし、アルトリアの柔らかさが伝わってきて俺としては嬉しいんだけど。

 そして、自分で言ってから気付いた。
 気付かなかった。考える必要なんてないってこと。
 だって、傍に居るだけで幸福なんだ。
 無理に、思い出として刻む必要なんてないんだって。
 今日は本当に楽しくて、忘れようとしてもきっと無理だろう。
 自然と刻まれたこの思い出は、色褪せるコトはない。
 それが、本当に刻まれた思い出なんだろうと思う。
 意味なんてただそれだけ。
 だから、考える必要なんてないんだと。
 これから、俺たちは――

 ――――手を繋ぎ共に行くんだと。

 俺は、アルトリアの笑顔を目に焼き付けてそう思った。

 

「あー、時間も予想以上に遅いし、ご飯はもう誰か作ってるかな」

「そうですね、でも…それ以上に、いいことがありました」

 なんでもない会話。それでも、彼女の弾んだ声が心に染み入る。

「士郎、貴方は私の過去を共に背負ってくれると言った。
 ならば私も誓いましょう。私もまた貴方の過去を共に背負うと」

 優しく、包み込むように微笑むアルトリア。
 そう、俺は独りじゃないから。抱え込む必要はないから。

「ああ、宜しく頼む」

 それに、俺も柔らかく微笑んで返す。
 そして、手を握って歩き出した。

「でも――」

「ん、どうした?」

 躊躇うような声。尋ね返すと、彼女は頭を振ってなんでもないと答えた。
 その顔が苦笑染みていたので不安はあったが、彼女が大丈夫だと言ったのだ、問題はないだろう。そう思って、俺は夕食の献立を考え始めた。
 だから、聞こえなかった。

 

 

「力は、そんなにも今必要なものなのですか……?」

 聞くもの無き呟きは、宵の風に呑まれて失せた。

 

 


◇後書きもとい言い訳◇

 前に投稿したの何時だよ私……本気で不味くないか? 冬葵伽です。
 毎度毎度の事ですが今回は丸餅さんに多大な迷惑をかけてその上での完成となりました。
 この場を借りて、今一度感謝の言葉を。

 丸餅さん、ありがとうございました。

 で、改訂前と改訂後の違いに関しては重要なのが一点、士郎の歪みは、まだ本人すら気付いていないというここです。
 これが変わるだけでありますが、今後の展開はこれを読んでないとなんの話だ? てなことになりますのでご注意を。

 さて、最後に雑談。

 この物語は『幸せな結末』です。非現実的な、在りえない、矛盾だらけな、ご都合主義の『物語』です。
 陰惨な現実を生きる中、ほんの少しの安らぎを得られるような『ハッピーエンド』のくだらない話。
 それを目指して、これからも書いていきたいと思います。それでもお付き合いいただけるのでしたら、今しばらくのお付き合いを願います。

 それでは、また何れ会いましょう。

 


After/三人姉妹

 

 で、帰ってきた俺とアルトリアが見たのは、胃が痛くなるようなギスギスした空気に覆われた居間。

「おかえりなさい、士郎。アルトリアも」

 滅多に見れないライダーの笑顔に迎えられ、俺とアルトリアはこくこくと頷きながら座る。
 居間に居るのはランサー、アーチャー、ライダー、ベディ、マユの四人。ちなみにマユ以外は全員正座で姿勢を整えている。どうやらギル他数名は出かけているらしい。

「よぅ坊主、遅かったな」

「お帰りなさい。ほら、マユも」

「おかえりなさ〜い」

「ふん、大方食事の準備が気になって帰ってきたのだろう。大した主夫根性だな」

 それぞれが挨拶すると同時に、マユ以外の三人がこれ幸いと居間から出て行こうとする。勿論そのまま逃がすわけにもいかないので、ベディとアーチャーの首根っこを掴んで引き寄せる。

「……なぁ、何があったんだ?」

 小声で二人に問いかける。俺の問いに対してアーチャーとベディはどこか遠い目をしながら、意を決したように重い口を開いた。

「貴様らが出かけている間に、凛と桜がライダーの髪で遊んでいたらしい」

「で、図に乗ってその結果が…」

 ちらり、とアーチャーが庭を見る。それにつられて庭を見ると……

「ん〜〜!! むぐぅ〜〜〜!!!」

「………」

 ぶらぶらと、まるで蓑虫のように吊るされた遠坂と桜がいた。
 どこから取ってきたのか魔力封印の縄で見た目にもきつく縛り、口には大量にガムテープがこれでもかと言わんばかりに貼られ、目には自己封印・暗黒神殿が装着されている。
 遠坂はまだまだ大丈夫そうだが、桜は最早反応なし。このまま放っておいていいのだろうか。

「どうかしましたか、士郎。まさかあの二人を助けるつもりではありませんよね?」

 にっこりと微笑みながら俺に詰め寄るライダー。おお、流石に本物の魔眼持ちは迫力が違う。あのあかいあくまに勝るとも劣らない強力な圧力……なんだが、何と言うか。
 普段はストレートな髪のライダー。しかし遠坂と桜の怨念か、今の彼女の髪は肩辺りからウェーブがかかっており、腰辺りにくると縦ロールになってたりする。
 はっきり言って恐くない。むしろ笑いそう。

「な、なんでさ?」

 誤魔化しを含めた一言で、押し潰さんばかりの圧力が一瞬で霧散する。

「そうですか。いえ、あの二人には少しばかり御仕置きをしなければいけないのです。甘やかしてばかりではいけないでしょう?」

 あれは絶対に少しじゃない、なんて思うけど口に出さない。
 触らぬ神に祟りなし、先人は偉大な言葉を遺してくれたものだ。この場合触らぬ髪でもいいかもしれない。

「おしおき〜、お姉ちゃんたち、なにか悪いことしたの…?」

 御仕置きという言葉に反応してか、マユが心配そうに首を傾げる。
 それに対して、ライダーは先ほどとは百八十度違う慈愛に満ちた笑顔でマユに言う。

「ええ、あの二人は悪い事をしてしまったのです。ですから、御仕置きです」

「んむう〜〜〜〜〜!!」

 どうでもいいがライダー、遠坂が滅茶苦茶唸ってるぞ。

「心配してあげるなんて、マユは良い子ですね。
 良い子ですから、早く寝ましょうね」

 にっこりと笑顔で、ライダーがマユを促す。マユはそれに笑顔で返事をして部屋へと向かった。

「んぐぅぐ〜〜〜!!」

 必死で抵抗している遠坂を見て、何やらアーチャーとベディが呟いてる。

「ごめん遠坂、俺はやっぱり正義の味方にはなれそうもないよ…」
「凛殿、桜殿、私は、私は騎士として失格だ……!」

 いや、この場合別に問題ないんじゃないだろうか。

 ライダーが作ってくれた夕食をアルトリアと食べながら、そんなことを思った。

 

 結局、遠坂と桜の二人が解放されたのは夜が明けてからだったりする。

「これに懲りたら少しは自重してください」

「「うう、ごめんなさい」」

 どうやら、今回は俺が酷い目に遭うわけではないらしい。よかったよかった。

「「ちっともよくない!!!」」

「黙りなさい!!!」

「「あう…」」

 ライダーと遠坂と桜。三人そろって何かをしているのは、仲の良い姉妹に見えた。
 ……ここでゴルゴンの三姉妹みたいだと言ったら、本気で殺されかけた。なんでさ。

 




管理人の感想

 こちらもまた改訂版。いろいろと今後の伏線を張っているようですね。
 この辺りから物語全体のメインテーマへと繋がっていくのでしょうか、第四話、第五話ともに士郎の抱えている問題が少しずつ浮き彫りにされているようです。
 ともあれ、このまま続きも頑張ってくださいませ。


 冬葵伽さんへの感想はこちら、もしくはBBSまでよろしくお願いします。


投稿作品TOPにモドル