―――全ての幕は閉じた。

 頬を撫でる風は優しく、目に映る夜明けはこの上ない黄金。
 地平線から覘く曙光の中、彼女は俺から少し離れた場所で佇んでいた。
 鎧は砕け、四肢はボロボロ。金砂のような髪は汚れ、その輝きを鈍らせている。

 それでも、彼女は場違いなほどに気高く、そこにある何よりも美しかった。
 周囲の景色が褪せてしまうほどに、凛とした瞳。
 その姿に、俺はまた心奪われた。

「最後に、一つだけ伝えないと」

 強い意思の籠った言葉。
 彼女の表情はとても穏やかで、優しくて。
 見せたのは体中の痛みが消し飛ぶような柔らかな微笑。

 「……ああ、どんな?」

 それに応えるように、精一杯の笑顔を向ける。
 今、自分はとても引きつった顔をしているのだろう。
 永遠の別離だと理解していたから、溢れる感情を必死に堪えて。

「シロウ―――貴方を、愛している」

 後悔もなく、彼女は真っ直ぐな瞳をもって口にした。

 それはとても残酷な一言。
 今までずっと聞きたかった言葉だった。
 だけど、そんなのはズルすぎる。
 今の俺には何もできない。
 顔についた泥を拭ってやることも、柔らかな髪を撫でてやることも、崩れそうな躯を抱きしめることも。
 それどころか、たった一言、彼女に答えてやることすらできないのだから。

 ―――風が、走った。

 細めていた目を僅かに閉じて、もう一度開く。
 たった一瞬。
 風が走ったその一瞬の間に、彼女は帰っていった。

「ああ―――本当に、おまえらしい」

 心の中で感情が暴れている。今自分が何を思っているかすらわからない。
 それなのに何故か落ち着いた自分が居る。
 そして、今感じているこの感情だけは、間違いじゃないって言いきれる。

 

「なぁ――俺も。
 セイバー、君を愛している」

 

 そう、心からの想いを紡いだ。
 伝えるべき彼女は既にその場に居ない。恐らくこの言葉は彼女の耳に届かなかっただろう。
 だけど、きっとこの想いは伝わったはずだ。理由は無いけどそう思う。
 彼女は果たすべきことを果たし、自らの居場所へと帰っただけの話。
 それは他の誰でもない彼女自身の選択。
 だから俺も、この想いを胸に生きていこう。

 それが彼女へ贈る、衛宮士郎という人物の描いた軌跡―――。


この遠い空の果て―――


 既に午後3時を過ぎているというのに、見上げた空はまだ青く、日はまだ沈みそうもない。

 冬木の春は遅く、五月に入ってもまだ桜が咲き乱れている。そんな通学路の空を悠然と泳ぐ桜吹雪が僅かに視界を遮っていく。だがそれも一瞬のことで。再び視界に映る春の蒼穹が、何故かとても懐かしかった。

 ふと、思う。
 以前これを見たときは、まだ何も知らなかったんだと。
 だけど、これでよかったんだと思う。
 知らなかったら、なんて考えられないから。
 運命に出会ったあの日の記憶。それを忘れることは、きっとない。
 色褪せることなきあの記憶は、衛宮士郎にとって大切な宝なのだから。

 熾烈を極めたあの聖杯戦争から、およそ三ヶ月。
 イリヤが藤村組に住んだり、遠坂が頻繁に飯食いにきたり、俺が無事三年に上がれたり、遠坂、美綴、一成と同じクラスになったり、やっぱり担任は藤ねえだったり。
 決して穏やかとは言えなかったけれど、ここ一ヶ月は特に忙しかった。

 聖杯に取り憑かれた間桐の家系。マキリという魔術師の闇。
 そして桜に降りかかったおぞましい悲劇。
 永遠の生なんて馬鹿げたことに呑まれた蟲使い、間桐臓硯はセイバーによって破壊された聖杯の代わりとして桜を使おうとした。
 元よりそのつもりだったのか、桜は既に大聖杯としての基準に達していた。更に悪いことに、破壊された聖杯から流出した魔力を桜へと流し込んでいた。

 それを知った俺と遠坂が黙っているはずもなく、俺たちは臓硯から桜を一旦離し、結界で封じ込めた。
 狂った老人は遠坂の魔術に、大聖杯の内部にて蠢いていた「この世全ての悪」は俺の投影した
約束された勝利の剣エクスカリバー】の前に浄化された。もっとも、投影のツケで意識不明になったのは仕方ないが。
 その後は桜に根付いた蟲を取り除くだけ……のはずだったのだが。
 これが最も厄介だった。厄介なことに蟲は桜の体とほぼ同化しており、蟲を殺せば桜まで死んでしまうことになるからだ。

 そんな状況とは知らず気絶していた俺は、夢でアーチャーと出会った。
 アーチャー曰く、このまま桜を放置しておくと守護者が動く可能性があるらしい。勿論その目的は大聖杯である桜の抹殺であることは間違いない。

「私はまだ動けん。他の守護者が動く前に貴様がなんとかしろ」

 とアイツにしては珍しい言葉を聞いた。
 アーチャーが言うには契約破りの歪な短剣…聖杯戦争中にキャスターが見せたあの短剣を使えと教えてくれた。しかし使えと言われたからといって、残念ながら俺の中にはあの短剣の情報がない。それを言ったら、問答無用で情報を頭に流し込まれた。
 その際にアイツがとっても不満そうで、「仕方が無い」と言わんばかりの表情だったのが妙に腹立たしい。それでも私怨で失敗するわけにもいかないらしく、聖剣の投影で死体同然だった俺の体をある程度まで治療してくれたのは礼を言うべきなんだろう。

 結果的に桜を救うことはできたが、無理矢理情報を流されたせいかしばらく頭痛がとれなかった。どうやら俺とアーチャーは根本から相容れないらしい。

 そこで予想外の事態が起こった。祓った蟲の中の一部分に、死んだはずの間桐慎二が居たことだ。
 これが死体なら埋葬なり火葬なりして葬ってやればいいのだが、幸運なことに慎二は生きていた。
 このまま死なせるわけにはいかなかったので、間桐の地下にあった魔道人形に魂を移し替えることとなった。
 イリヤの遠見の魔術を応用――正確には違うらしい――し、かつては大聖杯だった桜の魔力で無理やり継ぎ足して、慎二は一命を取り留めた。

 で、どこがどうなったか知らないが、戻ってきた慎二は俺が友人として付き合っていたあの頃よりも柔らかくなっていた。……口調が刺々しいのは相変わらずだが、そこに人を見下したような響きはない。
 慎二曰く、臓硯を通して聖杯内部の「この世全ての悪」を感じ取ったらしい。俺も一度経験しているが、確かにアレは人の価値観を変えてしまうだけの悪意があった。
 結局、慎二は桜の使い魔というカタチで生存、今も学校に通っている。…同じクラスという偶然はおいといて。 

 全てがうまくいったようで、全てが満たされているようで、それでも確実にピースが足りない日常。
 ほんとうに些細な変化。だけど衛宮士郎にとって大きすぎる変化。
 結局、俺は彼女を忘れられなかった。
 あの別れには全てがあったと理解していても、なお俺は彼女を求めてしまう。
 いままでも。そして、これからも。

 

 衛宮士郎は、セイバーを、忘れない―――。

 

 彼女が俺と同じ空の下に居ることを期待して、俺はこの遠い空を仰いだ。 

 

 

 

 後悔も未練もなかった。
 あの別れにそんな無粋なものはなかったと、胸を張って言いきれる。
 彼女は俺を愛してくれたし、俺も彼女を愛した。
 だけど俺と彼女は自分の道を貫いた。ただそれだけ。
 故に、後悔も未練もないし、ありえるはずもない。
 たしかに俺は彼女と共にいたいと願った。
 けれど俺は本当に彼女が大切だったから、引き止めるなんてできなかった。
 何故なら、それは彼女に対する冒涜だから。
 自らの人生を捨ててまで選んだ信念。報われぬとわかっていた。それでも剣を執り、戦うことをやめず王としての誓いを守ったのだ。

 引き止めることは、そんな彼女の誇りを汚してしまうことに他ならない。

 だから、彼女を愛した俺は、笑顔で見送ってやる必要があったんだ。

 そして自分の道を貫くことが、彼女の想いに応えることだと思ったから。

 

 柳洞寺から一人衛宮邸に戻ったとき、出迎えてくれた遠坂は俺にたった一言だけ訊いた。

「―――あんた、ひとりなの?」

「ああ。あいつはやるべき事を済ませたから。いるべき場所に帰ったよ」

 酷く、抑揚のない声だった気がする俺の言葉に、遠坂は「そう」とだけ呟いた。

 部屋に戻り、ふと視線を隣の部屋に移して―――誰もいないと、理解する。
 ついさっきまで共に戦った彼女はいない。いるはずがない。
 だって、彼女は帰ってしまったのだから。

「―――ぁ」

 擦れた声が喉から漏れる。今まで必死に抑えてきたのに、もう喉は限界を告げてくる。
 ―――否、限界を告げているのは喉じゃない。

 ただひたすらに、心が痛い。

 発狂しそうなほどの痛みに心が軋み。

 それでも狂いそうになるのを耐えようとする。

 だけど、荒れ狂う感情は耐えることすら許してくれず。

「―――――ぁぁぁっっっ!!」

 俺は、声にならない叫びを上げた。

 

 そう、後悔も未練もない。元の時代に戻った彼女は死を迎える。それは、抗うことすらできぬ必定された運命。
 彼女は王としての死を受け入れたのだ。
 だから、それを俺が汚してはならない。

 後悔も未練もない?
 彼女が死を迎える?
 必定された運命?
 死を受け入れた?
 汚してはならない?

 そんなことはどうでも良かった。俺はただ彼女と共に在りたかった。
 彼女の笑顔を、もう一度見たいと思ったんだ。
 幸せってものがどういうものか、彼女に伝えたかった。ただそれだけなのに。

「なんで―――だよ」

 それなのに、正義の味方であるはずの俺はたった一人の少女すら救ってやることができない。

 なんて―――無様。

 固く握り締めた拳を壁にぶつける。
 何度も、何度も、まるで気が狂ったかのように。
 皮膚が裂け、血が滲み、骨がひび割れる。
 けれど、そんな痛みは意味を成さず。
 心に吹き荒ぶ痛みを、悲しみを、怒りを。
 彼女に抱いた想い全てを消し去るには、程遠すぎた。

「なんで―――――俺には、俺には何もできないッッッ!!!」

 感情は制止を振り切り爆発する。
 それは嵐のように、瀑布のように。
 止まることを知らぬように流れ落ちる感情。
 その感情は世界に向けられたものであり、彼女に向けられたものであり。
 何より、無力でどうしようもない自分自身に向けられたものだった。

 いくら流そうと涙は枯れることを知らず、いくら叫ぼうと喉は枯れることを知らず。
 何時間、そうしていただろうか。
 帰ってきたときは夜明けだったというのに、既に日は高い。感情が爆発するまま、心が軋むまま暴れて俺はようやく止まった。

 そう、後悔も、未練も。
 ないのではなく、してはいけないのだ。

 そう、気付いてしまったから。

 なんて愚か。そんな事にも気づけないなんて。

 それは彼女との思い出を無駄にすることだから。
 それは彼女との別れを冒涜することだから。
 それは俺が愛した彼女の生き方を、否定してしまうから。

「ぐっ……っ…ぁ」

 だから―――衛宮士郎は、この想いを受け止めて生きていく。

 だけど、今だけ、今だけは。
 後悔させて欲しい、未練を残させて欲しい。
 悲しむことはいつでもできる。怒ることはいつでもできる。
 でも、後悔と未練は今だけしか許されていないから。
 だから、今だけは許して欲しい―――。

 

 一人ただ静かに涙を流す。

 ふと覘いた窓から見える空は、皮肉なほど蒼く澄みきっていた。

 

 

 

 まぁあれだけ大荒れしたわりには、翌日にはしっかり納得できていて。
 悲しくないわけじゃないし、苦しくないわけじゃない。
 今でも彼女の夢を見る。でもそれを引き摺ってるわけじゃない。
 だけど、俺は彼女への想いを胸に生きていくと決めたから。

 止まっているわけには、いかないんだと。
 俺は独りではないんだと。彼女がいつも傍に居るんだと。
 だから、忘れるでもなく囚われるでもなく。
 俺たちの全てがあったあの別れを背負って進まなくちゃダメなんだと。

 あぁ、なんだかやけに感傷的になってる。今朝にあの頃の夢を見たせいだろうか。
 頭を振って、精神を統一。意識を現実へと引き戻す。
 今日は皆用事があって来れないはずだから、珍しく一人での食事。かといって、いつ予想外の事態が起こるかわからないのが衛宮家の実状だ。
 食材ももう残り少ない、食料調達のために今から商店街に寄って行くとするか。

 

 仰いでいた空から目線を外し、俺は前を見つめた。
 なんでもない日常。けれど彼女が愛し、渇望したそれを目に焼き付けながら。
 桜舞うこの遠い空の果てに、俺は想いを馳せた。
 できることなら、愛する彼女に届くように―――。

 

 

 

 

 

 意識が、揺らぐ。
 未だ朦朧とする意識が痛みを受けて覚醒していく。
 体を持ち上げられたのか、奇妙な浮遊感。そしてどこかに下ろされた。

「王、今はこちらに。すぐに兵を呼んでまいります」

 耳に入る声はどこか懐かしい。
 あぁ、思い出した。
 彼は、私が信頼した騎士の一人なのだから。

「どうかそれまで辛抱を。必ず兵を連れて戻ります」

 彼の声が僅かに震えている。恐らく、彼自身も気づいているのだろう。
 この身は既に、死に逝く者のソレだと。

「ベディヴィエール」

 肺に走る痛みを堪え、彼の騎士を呼ぶ。
 いつまでも眠っているわけにはいかないと、私はゆっくりと目を開けた。

「王!? 意識が戻られましたか……!?」

「……うむ。少し、夢を見ていた」

 そう、夢を見ていた。
 正義の味方を目指す、とある少年の夢。
 それを思い出して、自然と声が温かみを帯びた。

「夢、ですか……?」

 不思議そうで、けれど必死のような声で。
 彼は私に、問いかけた。

「そうだ。あまり見た事がないのでな。貴重な体験をした」

 にわかに信じられない、夢物語。
 遥かな時代を越えた英雄達との戦い。
 クー・フーリン、佐々木小次郎、ヘラクレス、果ては最古の英雄王ギルガメッシュ。
 私は確かにあそこで、彼らと打ち合い、鬩ぎ合い、戦った。
 私が唯一愛した、あの少年と共に。

「……それは。では、どうぞお気遣いなくお休みください。私はその間に兵を呼んで参ります」

 息を、呑んだ。
 彼の言葉は、私にとってとても驚くべき言葉だったから。

「……王? 何かご無礼な点でも……?」

「―――いや。そなたの言い分に驚いた。
 夢とは、目を覚ました後でも見れるものなのか。
 違う夢ではなく、目を瞑れば、また同じものが現れると……?」

 そんなはずはない。
 自分でもわかっているのだ。
 夢とは一度限りのもの。二度と見られるはずはない。
 それでも―――望まずに、いられなかった。
 我侭な、けれど純粋な心からの願い。

「―――はい。強く思えば、同じ夢を見続ける事も出来るでしょう。私にも経験があります」

 僅かに戸惑いを含んだ声。それが、彼の虚偽を伝えてくれる。
 けれど―――その言葉に救われた。
 脳裏を掠めていく、彼と過ごした日々。
 僅かな時間だけど、決して忘れることのないあの時間。

「そうか。そなたは博識だな、ベディヴィエール」

 だけど、その前に。
 優しい夢を見るその前に、やらなければならない事がある。

「ベディヴィエール。我が名剣をもて」

 もはや擦れた声しかでない喉で、私は彼に言う。

「よいか。この森を抜け、あの血塗られた丘を越えるのだ。
 その先には深い湖がある。そこに、我が剣を投げ入れよ」

「―――! 王、それは……!」

 彼とて、その言葉の意味がわかるはずだ。
 私が死に、アーサー王という存在が消えること。

「―――行くのだ。事を成し得たのならばここに戻り、そなたが見た事を伝えてほしい」

 彼は躊躇した後、剣を持ってこの場を去った。
 これでいい。
 これで―――戦いは終わるのだ。

 騎士が帰ってくるまでの時間、私はあのときを想った。
 彼をからかって遊ぶ、人一倍優しい魔術師。
 いつも苦笑していた、彼の後輩。
 年不相応な一言をもらす、銀の少女。
 いつも私たちを見守ってくれた、少年の姉。
 私が愛した唯一の、少年。
 私も含む六人で、同じ食卓を囲む。
 かつては有り得なかった光景。
 少年が望んだ、ささやかで安らかな時間。
 騒がしいその中で、少年は苦笑する。
 そんな、都合のいい夢を想う。

 騎士は二度、剣を捨てきれずに戻ってきた。
 けれど、私が言うべきはただ一言。

 “命を守るがいい”

 三度目、彼が戻ってくる頃には既に日は昇り始め。
 朝靄が風に流れ頬を撫でていく。
 そんな心地よさの中、ただ少年のことを想う。
 誰よりも優しく、誰よりも強い少年。
 誰よりも気高く、誰よりも脆い少年。
 とても危うくて、気がつけば目で追っていた。
 目が合えば優しく微笑んでくれた、あの少年を。
 

「――――――――――」

 騎士の、声だ。
 閉じていた目を開き、彼の顔を見る。

「……そうか。ならば胸を張るがよい。そなたは、そなたの王の命を守ったのだ」

 柔らかくそう告げる。
 彼は静かに、一度だけ頷いた。

 けれど、そこまで。
 視界は段々と霞んでいき、光が消えていく。
 そして同時に、体から力が抜けていくのがわかった。

「―――すまないなベディヴィエール。
      今度の眠りは、少し、永く―――」

 まどろみの中、私はゆっくりとその双眸を閉じた。

 これで、アーサー王としての私は終わる。
 だからこの先見る夢では、私はアーサー王ではない。
 詭弁だとは理解している。
 けれど、たった一つ祈らずにはいられなかった。
 アーサー王としての自分は死に、これから私はアルトリアとして生きていくことを。
 全ては夢の中の幻想。
 歪んだ願望かもしれないけれど、私は彼だけのアルトリアでいたい。

 その眠りはとても暖かく。
 不安など、微塵もない。
 だって、夢の中でまたあの少年と出会えるのだから。
 王としてではなく、剣の騎士としてでもなく。
 ただ、一人の少女として。私はエミヤシロウと再会する。
 そして、シロウと一緒に歩いていく。
 出来すぎた、夢。
 そんな、たった一つの願いを胸に私は旅立つ。

 何も見えない闇の中。
 けれど手探りで進むことに恐怖はない。
 彼が、私の愛する人が―――見えた。
 目が合った、にっこりと微笑む。
 ああ。なんて、幸福。
 手をとって、歩き出す。
 夢でも良い、私は彼と共にいけるのだ。

 

 晴れかかった蒼穹の下。
 この遠い空の果てを夢見ながら、眠りについた。
 できることなら、愛する彼に届くように―――。

 

 

 

 

 

そして―――――また、運命に出会う

 

 

 

 

 

 新鮮な食材が格安で手に入り、ご機嫌で家に入った俺を迎えたのは荒らされた居間だった。

「なんだ……!?」

 座布団は散乱し、引き出しが出されたまま。冷蔵庫が開いたままで、掛け時計も下に落ちている。食器類も棚から落ちているが割れておらず、畳も何枚かは外れている。

「……あれ?」

 ふと、不自然な点を見つけた。

「何も、なくなってない…?」

 おかしな事だが何かを盗まれた形跡はない。それどころか、荒らされた物全てに傷一つない。愉快犯だろうか、ただ荒らされただけとしか考えられない。
 だけど、それにも疑問がある。確かに衛宮邸は大きな家だが、こんな事をして何になるのか。
 怒りに感けて破壊衝動を向けたのならば何かが壊れているはずなのに、それがない。
 通帳も、印鑑も、金庫も……手をつけられた跡さえ残っていない。

「……………」

 相手の狙いは物品ではないということか。
 ならばいったい何が目的で……まさか。

「切嗣の、遺物」

 考えられないことではない。切嗣の遺物の中に魔術関連の物はないが、相手がそれを知るはずがない。もしソレを狙っているとすれば、侵入者は魔術師だということになる。
 仮にだ。侵入者が魔術師ならば―――土蔵の中の魔力に、気付くのではないか。

「まずい、土蔵の中には」

 土蔵の中には、俺が投影した物が幾つか残っていたはずだ。
 自分で言うのもどうかと思うが、俺の投影は一般魔術師のソレと大きく異なる。もしそれを見つけられたら……この平穏は、間違いなく壊される。

 それを理解して、俺はスイッチを入れた。
 体内に存在する数少ない魔力回路がゆっくりと魔力を帯びていく。

「―――同調、開始トレース・オン

 聖杯戦争以来常に持ち歩いている折り畳んだ紙。それを丸めて強化し、急造の剣にする。
 周囲に気を配りながら、急造の剣を右手に携えて走りだす。多少危険だったが、庭を一直線に駆け抜ける。
 そして、土蔵の中に飛び込んだ。

 

「え―――――?」

 土蔵に入った瞬間、脳の処理が停止した。

 華やかさとは無縁な鉄の鎧。その無骨さはただ敵を打ち倒し、主を守るためのもの。
 だけど、眼前にある鎧にはそんなものは感じられず。
 何故か、なんてそんなのは言うまでもない。
 無骨な鉄の鎧でさえ鮮やかな華と見せてしまうのは騎士の美しさ故。

 事実、壁に背を預けたまま眠る騎士はこの上なく美しかった。
 その美しさ、地獄へ堕ちようとも忘れられない。

 開いた扉から流れ込んだ風が、騎士の青い衣と金砂のような髪を揺らす。
 記憶の中とは少し違う、ほどかれた髪。
 閉じられた瞳は、記憶どおりならば宝石のような聖緑のはず。

 俺は苦笑した。
 口ではああ言っても、俺はまだ彼女の幻影に囚われているのだ。
 あの日とは逆の立ち位置だけど、それは奇しくもあの夜と同じ構図。

「ん……っ」

 僅かに呻き、彼女は目を開けた。
 記憶と寸分違わぬ、聖緑の宝石がこちらを見据える。
 彼女は息をすることすら忘れたように、ただ呆然と俺を見据えたまま停止していた。
 思えば、俺も初めて彼女と出逢った時は見惚れていたはずだ。

 俺はゆっくりと近づき、彼女に笑いかけた。

「おはよう、セイバー」

 その一言で、セイバーは目を見開く。

「シロ、ウ?」

「ああ。久しぶり、セイバー」

「―――――」

 セイバーは立ち上がり、今度は笑顔で俺を見た。

「はい。久しぶりですね、シロウ」

 ただの挨拶。
 たったそれだけで、今まで空白だった心が満たされていく。
 心の奥深くで沈んでいた後悔と未練が逆流する。
 どうして、あの時手を伸ばさなかったのかと。
 後悔と未練をしてはいけないと自分で納得しようとも、押しあがってくるそれを止めるには至らず。
 彼女に抱いた全ての感情を、偽れなかった。

 ―――ああ、やっぱり。
      衛宮士郎にとって、セイバーはなくてはならない存在だと。

 わかっていたけど、改めて実感して。
 これが幻だとわかっている。彼女はこの時代では既に死を迎えた人物なのだと。
 触れれば消えてしまうだろう、けれどそんな理性は容易く沈み。

 俺は、セイバーを抱きしめた。

 「え―――?」

 同時に、俺は奇妙な声を上げた。

 あれ、おかしい。
 今俺の前にいる彼女は幻のはずだ。
 弱い俺自身が見せたセイバーの幻影。
 もしくはただの白昼夢のはずなのに。

 伝わってくるのは、忘れようもないセイバーの暖かさ。
 それは、都合のいいユメなんかじゃなく。
 彼女がここにいるという、証明なのではないか。
 溢れる、溢れる。
 心が、感情が氾濫を起こし流れ出す。
 堪えきれなくなり、俺はセイバーを強く抱きしめた。

「…っ! シロウ、いくら夢とはいえ…これ以上は少し痛い」

 困ったように抗議するセイバー。
 その仕草も声も、全てが感情を荒立たせる。
 だって仕方ないじゃないか。
 今現実にセイバーがここにいる。それだけで、俺はもう他の事を考えられない。
 痛いくらいでも、俺にとってはまだ足りないくらいなのに。
 ようやく観念したのか、彼女もまた力を入れて応えてくれた。
 なんでセイバーがここにいるのかは知らない。
 もしかしたらまた消え去ってしまうかもしれない。
 けど今はただ、懐かしいこの温もりを噛み締めたい――…

「若いのぉ……」

「「!?」」

 土蔵の入り口から発せられた老人の声。
 驚いてそちらを見ると、そこには一人の老人がいた。
 ――ただの老人じゃない。
 現にあの老人から感じ取れる魔力は、あの遠坂ですら軽く凌駕する……!

「マ、マーリン!」

「え?」

 セイバーは今確かにそう言った。
 まさかこの老人はあのマーリンなのか?

「そうじゃよ、エミヤシロウ殿。アーサー王に聖剣を渡した悪戯好きの魔術師じゃ」

「っ―――!」

 今、俺は考えただけで何も言ってないはずだ。
 だったらなんでこの老人は俺が言おうとする事がわかったのか。

「ふぅ。お前さんのように心を閉じとらん輩の考えることなんぞすぐ読めるわ」

 ……つまり、俺の心を読んでいると。まぁ別に読まれて困ることなんかないからいいけどさ。

「マーリン殿、お待ちください!!」

 大声が響き、爺さんの後ろから誰かが向かってくる。
 その人物はセイバーのように中世風の鎧を纏っているが、生憎俺にはそんな知り合いはいない。

「マーリン殿、少しはおとなしく……」

 土蔵の中に入ってきた人物はこちらを見て――石化した。

「ベ、ベディヴィエール!?」

 セイバーが驚いたように声をあげる。
 ベディヴィエールって、護衛騎士サー・ベディヴィエールのことか?
 マーリンといいベディヴィエールといい、いったいなんでこんなとこに……?
 ってあれ? 騎士がなんか口をパクパクさせてる。

「そ、その…私如きが、王に意見するなど、許されるものではないと、理解していますが…その、なんと言うか」

 騎士は何故かこちらを直視せず、目線を逸らせながら言い難そうに口を開いた。

「王が、その…誰を選ぼうが自由でしょうが…あの、やはり同性愛というのは……」

 あー、そういえばセイバーは男で通してたんだっけ。
 しかも俺とセイバーは今抱き合ってるし。
 思考こそ冷静だが、俺の顔は真っ赤になっているだろう。
 セイバーも赤面して縮こまってる。
 だから、そういう仕草をされると余計に赤くなるんだが。

 さて、誤解やら何やらを解く前に。

「えーと、何がなんだかわからないから説明してくれませんか?」

 必死で笑いを堪えている魔術師に、この状況の説明を求めた。

 

 

 ―――さて。
 あのまま土蔵で話をするわけにもいかないので、とりあえず居間に上がってもらう。
 不思議なことに、荒らされていた居間はきっちりと元通りとなっている。
 疑問を抱いたものの、先に魔術師に話を聞く方が重要なので一旦放置。
 四人分のお茶を淹れ、居間にいる三人に配る。勿論自分のお茶も忘れない。
 セイバー、サー・ベディヴィエール、マーリンと明らかに和室が似合う格好ではないが、そんなのは瑣末事だ。

「で、説明してもらえますか?」

 それよりも先に聞かなければならない。
 何故セイバーがここに居るのか。

「構わぬが…王よ、貴方は騎士に伝えるべきことがあるのでは?」

 マーリンがセイバーを見る。
 伝えるべきことって……ああ、そういうことか。

「ええ…ベディヴィエール、私は貴方に謝らなければならない」

 非常に申し訳なさそうに、僅かに顔を逸らせてセイバーが切り出す。
 確かに、これまで必死になって護ってくれた彼にそんなことを言うのは気が引けるだろう。

「謝る、ですか? 失礼ですが王、私は如何なる事があろうとも貴方への忠誠を違えることは……」

「私は……その、男ではないのです」

 その一言で傍目にわかるほど石化するサー・ベディヴィエール騎士。
 心の底から信頼していた自分の王が男じゃありませんでした、ってのはかなりショックだったらしい。
 それが見えていないのか、セイバーは新たな爆弾を投下した。

「それでですね、その…私は彼のことを、シロウのことを…あ、愛しています

 あー、小声でもきっちり聞こえてるんだが。セイバー、そういったストレートな表現はできるだけ抑えてほしい。そりゃあ俺だってその、セイバーを愛してはいるけどさ、面と向かって言われると照れるわけで。

 とか何とか考えてる内に、いつの間にか石から砂になっているサー・ベディヴィエール騎士。
 こういうの、風化って言うんだっけ?

「ってボケてる場合じゃない! 大丈夫ですか!?」

 必死に呼びかけるものの、騎士は虚ろな目をしたままだ。

「少しはしゃんとせんかい」

 瞬間、形容するも憚れるような奇怪な音が鳴った。

 こう、鉄板入りグローブでの渾身のストレートが脇腹に抉るように入ったような生々しい効果音。
 疑問ですが、杖とは腹部目掛けて打突を放つものなのですか、マーリンさん。

「現実を見据えい。修行が足りんぞ?」

「だからと言って、これは流石に痛いのですが……!」

 地の底から響くような声で呻く騎士。確かにアレは痛いだろう。

「まぁ痛みはありますがそれはいいでしょう。
 我が王よ、貴方が女性だとしても、私は貴方に剣を捧げた身。謝る必要などありません」

 しっかりと、セイバーに向かい合って言う騎士。その瞳には、暖かなものが浮かんでいた。

「―――ありがとう、ベディヴィエール」

 騎士の心からの声に、セイバーが微笑む。
 俺は彼女がどれだけ辛い思いをしてきたかは知らない。だけど、心休まる時なんてそうはなかったはずだ。そんな中で、心から忠誠を尽くしてくれた騎士がどれほどの支えになっていたか。
 騎士は、セイバーのことを本気で大切に思っている。それが、何より嬉しかった。

「それと、エミヤシロウ殿…でしたか?」

「え? あ、はい」

 いきなり呼びかけられたので少し戸惑う。いや、俺は蚊帳の外だと思ってたし。

「私は貴方に礼を言わなければならない。貴方は王を救ってくれた」

 礼…? しかも救うって。どっちかと言うと俺の方がセイバーに救われてるんだが。

「宮廷での生活では、王は笑うことがありませんでした。泣くことも、怒ることも。
 私には、それが許せなかった。誰よりも血を流し、心を殺している王が何故笑えないのかと。しかし、私がどれだけ苦心しようとも王を救うことなどできなかった。ですが――」

 騎士は俺に顔を向けた。その表情は、心からの笑顔。

「貴方と共に居るときの王は、私が望んだ姿でした。
 時に笑い、時に怒り、時に悲しめる【一人の人間】としての姿。
 貴方のおかげで、我が王は救われた。どれだけ礼を言おうとも足りないくらいです。

 ―――ありがとうございます、エミヤシロウ殿」

 あぁ、そうか。彼も、俺と同じだったんだ。
 頑張ったやつが幸せになれないなんて、我慢ならない。
 ただそれだけを彼もまた望んだだけのこと。

「礼はいらない。だって、俺もセイバーのそんな姿が見たかっただけだから」

 彼は俺と同じで、ただその姿を見たかっただけ。
 彼女の、心からの笑顔を。彼女の、幸せな姿を――。

 

「……さて、経緯を話すにあたって、アーサー王の最期は知っておるかね?」

「大体は。死してその後理想郷へと旅立ったと」

「なら話は早い。死を迎えたアーサー王は遥か遠き理想郷へと旅立った。その際に手違いがあってな、サー・ベディヴィエールも一緒に渡ってしまったんじゃが…まぁそれは大した問題ではない。
 わしらとしてはアーサー王を癒し、そのまま理想郷で夢を見続ける手筈だったのじゃが……」

 ならば何故ここにセイバーが居るのか。彼女は全て遠き理想郷に居るはずでは…?

「……わしも人の子だったということじゃ。この馬鹿者の夢とやらを見せてもらったんじゃが……見るに耐えられなくなっての。何せ内容が【お主と共にいたい】などと欲のないことを夢見ておった」

 そんな―――こと。

 どんな夢でも見れるのに、彼女は俺といるなんて夢を選んだのか。

 そんな―――こと。

 他に、いろいろな幸せが望めただろうに。

 そんな―――こと。

 それでも、彼女は。

 そんな―――あまりにも。

 俺と一緒にいるなんて、そんなことを選んでくれたというのか――!

「わしは何もしてやれなんだ。だからせめて、このささやかな夢ぐらいは叶えてやりたかった。
 ただ―――それだけじゃよ」

 マーリンはそう言って茶をすする。
 話の最中は静かに聞いていたセイバーがマーリンに顔を向ける。

「それでは、これは夢ではないのですか……?」

 信じられないと、その表情が語っていた。
 マーリンは優しく微笑みながら頷く。

「アーサー王は死を迎えた、お前はただのアルトリアじゃよ。もう何にも縛られる必要はない」

 それが、彼女が堪えていた全てを吐き出させた。

「シロウ……っ!」

 堰を切ったように、セイバーは俺に抱きついた。
 胸元から聞こえる嗚咽の声、それは決して悲しさからきたものじゃない。
 だから、俺は彼女の頭を撫でた。
 これが夢なんかじゃないと、確認させるために。
 掌に彼女の髪が触れる。
 むせび泣く彼女を優しく抱きしめて、俺は彼女に微笑みかけた。

 

 それから約五分ほど。
 セイバーはようやく泣き止み、顔を赤くして俺の隣に座っている。
 これで、聞くべきことはもう無いのだけど……

「………」

 なんか、ベディヴィエール騎士が気まずそうな顔してる。土蔵で俺たちを見たときみたいな顔だ。

「ベディヴィエールさん、何か…?」

「い、いえ! その……このようなことを言うのはどうかと思いますから」

「???」

 なんだろう? そんなに口にするのが憚れるような事なんだろうか。
 だけどそんなふうに言われたらかなり気になる。

「気にしなくてもいいですよ、言いたいことがあるなら言って下さい」

「し、しかし……」

「ベディヴィエール騎士よ、わしも気になるんじゃが?」

 悪戯好きな魔術師も参戦。これには参ったのか、騎士はゆっくりと口を開けた。

「……記憶が確かなら、魔術師殿は理想郷の女性から逃げる為にここに来たのでは?」

 ……え? 逃げるため?
 って何で冷や汗流してるんだ、マーリン。

「な、何を言っておるんじゃ」

「曖昧な記憶ですが、浮気がどうこう言ってたような。その女性から逃げる途中、私と王を無理矢理ひっぱってきたような気がします」

 ……浮気? 逃げる途中って、まさか。
 いや、いくら悪戯好きな魔術師でも流石にそれは。

「そこから推測するに、恐らく魔術師殿は浮気がバレて逃げるために私と王を連れて逃げ、その場所がたまたまここだったというのでは?」

「……………」

 何故だろうか。この老人は否定をしてくれない。いや、だからといってそれが真実だなんてはずはない。これは、ただどういう順番で話そうか考えてるだけだ、うん。

「更に言えば魔術師殿は湖の貴婦人から聖剣をふんだくって来てませんでしたか? 挙句、どこからともなくその鞘までもってきてましたし」

 ベディヴィエールさんが先ほど殴られた腹部を撫でながら言う。心なしか怨みの篭った目線でマーリンを見ているのは気のせいなのだろうか。
 しかも聖剣ってエクスカリバーか? その鞘ってことはアヴァロン…?

「おまけにこの部屋を散々荒らしたでしょう。私がある程度元の位置に戻したからいいものの」

 訂正。しっかり怨んでいるようだ……よっぽど痛かったんだな、あの一撃。

 ってちょっと待て。今の話が本当なら、もしかして……

「あの…つかぬことをお聞きしますが、これから二人はどうするんですか?」

 俺が聞いた瞬間、二人そろって「「あ」」と呟いた。
 いや、ある程度は予想していたんだけど。理想郷から逃げてきたのならマーリンは帰れないし、無理やり引っ張ってこられたベディヴィエールに戻る方法なんてないだろう。
 そんな俺の心境を知らない二人は非常にすまなさそうな顔をしてこちらを向く。

「えぇと、申し訳ありませんが……しばらく、滞在させてもらってよろしいでしょうか?」

 そんなふうに言われたら、正義の味方を目指してる俺としては断れないわけで。
 それに、セイバーを連れてきてくれたのは確かだし。……裏であんなことがあっても、結果としてはなぁ。

「構いませんよ、もうこの手のハプニングは慣れましたから」

 苦笑まじりでそう答える。何せ、聖杯戦争から衛宮家に食客はつきものだ。
 遠坂然り、桜然り、イリヤ然り、藤ねぇ然り……家のエンゲル係数が心配だけど。
 食材も運良く買ってきたし、食事の心配はないだろう。

「それでは改めてはじめまして、エミヤシロウ殿。私はサー・ベディヴィエール。ベディ、と呼んでください」
「マーリンじゃ。これからしばらくやっかいにならせてもらうの」

 本当に助かったといわんばかりの表情で頭を下げられたら、やっぱり言ってよかったと思う。
 こういう考えが人がいいって言うんだろうなぁ、遠坂あたりは。

「俺は衛宮士郎。士郎でいいです。よろしくベディ、マーリン」

 互いに手を出して握手する。どうやら、衛宮邸に平穏が訪れるのはまだ先らしい。藤ねぇあたりの説得に苦労しそうだ。

「シロウ」

 と、先ほどまで黙っていたセイバーが俺を呼ぶ。…何かしたっけ?
 セイバーは優しく微笑みながら、その瞳に俺を映して言った。

「アルトリア・ペンドラゴンです。……これからも、よろしくお願いします」

 ……考えてみれば、当然のこと。
 彼女は剣の騎士というサーヴァントでなければ、かつてブリテンの王であったアーサーでもない。

「ああ、よろしく。……アルトリア」

 俺も自然に微笑み返す。その微笑は別れ際のような引きつったものではなく、心からの喜び。

「さて、そろそろ晩飯の用意でもしないとな」

 四人分ならばいつもとあまり大差ない。これくらいの量を作るのは日常茶飯事だったし。

「夢のようです、またシロウの作った食事が食べられるなんて」

 セイ…じゃなくてアルトリアも嬉しそうだ。
 そんなアルトリアを見て、期待してますと言わんばかりの視線を向けてくるベディとマーリン。
 あまり家計に余裕があるわけではないけど、今夜は奮発して豪華にいこうと思う。

 アルトリアとの、再会を祝って。

「そうだ、アルトリア。俺まだ答えてなかったよな?」

「答える、ですか?」

 俺の問いに不思議そうに聞き返すアルトリア。
 あんな反則しておいてきっちり忘れてるなんて、酷いんじゃないだろうか。

「うん。あの別れ際におまえが言ったことの答え」

 それで思い当たったのか、アルトリアは微かに声を漏らして俯く。

「俺は、世界中の誰よりもアルトリアを愛してる。これは、きっと変わらないから
 ―――ずっと、俺の傍にいてほしい」

 一度の別れで俺は痛いほど知ってしまった。彼女が居ることが、俺にとって何よりも大切だって。
 アルトリアはまだ赤みの差した顔のまま、俺に向かい合って口を開いた。

「……はい。この身が朽ち、どちらかが死を迎えるまで。
 ―――私は貴方と共に在る。それは、私の望みでもあるのですから」

 ―――やばい。なんか、涙が出てきそうだ。もう頭の中はぐちゃぐちゃで何を考えていいかわからない。
 でも、嬉しいってことだけは、間違いない。

「うん」

 俺に出来たのは頷いて返事をするだけだったけど、それでよかったんだろう。
 ここに、意味の無い言葉は邪魔なだけだ。そう感じたから。

 さぁ、夕食は豪華にすると決めたからにはまず下ごしらえだ。
 舌の肥えたアルトリアでさえびっくりするような料理を作ってやるとしよう――。

 

 

 

 ふと、外を覘く。
 いつの間にか日は暮れて、夕闇が空を染め上げていく。

 彼女との別離は夜明けの中で。

 彼女との再会は日暮れの中で。

 風が、走った。
 それはあの日の風ににも似た強い風。
 強い風は、あの日感じたそれとは大きく異なって。

 俺は実感している。停滞していた時が動き出ような、そんな感覚。
 いままで抜けていた彼女という歯車がはまり、ようやく俺という時計が動き出す。
 独りではない。いつも隣には彼女がいる。
 ほんとうに些細な変化。だけど衛宮士郎にとって大きすぎる変化。
 結局、俺は彼女がいなければダメだってこと。

 真実はたった一つ。覆しようの無い俺の真理。

 

 

 衛宮士郎は、アルトリアと、共に在る―――

 

 

 今はまだそれだけしかわからない。

 でも、彼女が俺と同じ空の下に居ることが嬉しくて、俺はこの遠い空を仰いだ。  

 もう遠い空に向けて彼女に想いを馳せる必要は無い。

「シロウ、空に何か……?」

「いや、もう何もないよ」

 もう、何もない。今はもう、何もない。

 この空に想いを馳せる必要はもうない。

 彼女は、俺の隣で微笑んでいてくれるから。

 今も、そしてきっとこれからも。

 つかんだ彼女の手を、二度と離さない。

 

 

 

 何を望むでもなく、ただ共に在りたい。

 剣の騎士というサーヴァント、「セイバー」でもなく。
 ブリテンの王という騎士王、「アーサー王」でもなく。

 ただ、一人の少女である、「アルトリア」と。

 

 

 

 

 

 これからは一緒に、この道を歩いていこう―――。

 

 

 

 

 

 で、ここで終われば綺麗に終われたのだろうが。

「ぬぅ、これは美味い!!」

「マーリン殿、食べすぎですよ!!」

「………(コクコク)」

「そういうお主こそ少しは遠慮したらどうじゃ!!」

「もう若くないんですから控えてください!!」

「……………(コクコク)」

「騎士ならば少しは慎みを覚えんかい!!」

「あっ! それは私のロールキャベツですよ!!」

「…………………(コクコク)」

 老人とは思えぬ速さで箸をふるうマーリン。
 初めて使うはずの箸を剣舞の如く使いこなすベディ。
 コクコクと頷きながらも食べる速度が尋常じゃないアルトリア。

 夕食は、荒れに荒れたとだけ言っておこう。
 アルトリアを危惧して10人前近く作ったというのに、俺が食う分がなくなるほどに。

「「「おかわり!!」」」

 ……勘弁してくれ。

 


◇後書きもとい言い訳◇

 FateSSを書くのは初めてですので、ご挨拶を。冬葵伽です、トキカとお呼びください。これが処女作というわけではありませんが、それほど経験があるわけでもないので十分に初心者に分類されます。
 これを書いた切欠というのは須啓様の「夢の終わりに誓った想い」を読んだことなんです。
 まぁ私の駄文のコンセプトは単純なもので、
 FateルートTrueEnd「夢の続き」に真っ向から反抗してご都合主義満載全部手に入れちゃいました
 なストーリー目指してます。
 だから冒頭で既に桜は間桐から解放されています。慎二もHeavensFeelの士郎のような形で生きてます。
 手抜きでご都合主義です。
 Fate本編のEDは殆どが現実的なわけで、皆が救われるEDがなかったのであえてそれをやってみようと。実際にやってみて自分の文章力の無さに落ち込みました……難しいですね。本編のクオリティが高すぎるのも相まって尚更です。
 これから士郎とアルトリアをメインに他のキャラクターも補完していきたいなぁと思います。あくまで、反響があればですが。おそらく無いと思われるのでこの後はお蔵入りでしょうね……

 誤字脱字、用法の間違い、こうした方が良い、この説明はおかしい、感想などあればメールで送っていただけるととても嬉しいです。ウィルスは勘弁ですが。

 それでは、機会があればまた何れ。


◇改訂についてあれこれ◇

 えー、とりあえず先にご挨拶を。冬葵伽です。
 この度、私の拙作である「この遠い空の果て」「理想の果てに続く道」を短編連載として一括りにしてしまうという無謀なことを決行。よって、これからちょくちょく続きを書いていこうと思います。
 心機一転ということで、連載名は「幸せの理想郷へ」と言うことで。
 連載化に伴い、そのままでも何なのでとりあえず改訂しました。
 読んだ後に少し違和感があったり、ご指摘いただいたところなどを主に。次は「理想の果てに続く道」を改訂予定です。新作はその後で。
 更に、連載化ということで須啓さんの「Acid Rain」から、丸餅さんの「Global My Document」へと転移させていただきました。須啓さん、今までご迷惑をおかけしました。丸餅さん、これからご迷惑おかけします(オィ)。

 まぁ兎に角。
 連載とは言っても私の執筆速度は亀より鈍い上、現在立て込んでおりますのでそう頻繁に書くことはできませんが、連載化して欲しいとのお言葉をいただきましたので無茶を承知でやりました。
 可能な限り速く書くつもりなので、皆様これからも宜しくお願いします。

 ……新作については頑張ります、としか。
 メインは桜と慎二で間桐の話を予定しております。もしかすればキャスターと葛木に転ぶかもしれません。

 感想を下さった方々への謝辞は新作の後書きで。…改訂の後書きに載せるのもどうかと思うので。

 それでは。最近とても再構成が書きたくなってきた冬葵伽でした(何)。

 




管理人の感想

 冬葵伽さんから投稿作品をいただきましたー。
 わーい、このページで私以外のセイバー帰還モノだー。なんつーか、お仲間ができたみたいでとても嬉しい。
 ほのぼの感あふれる幸せなハッピーエンド物、わたしゃこういう作品大好きです。
 しかも、マーリンとかベディヴィエールまでもが残っちゃってる作品、私はこれしか見たことありません。

 まあ、いわゆるご都合主義的な作品ではありますが、そういうのがあまり気にならない人でセイバーが好きな人には楽しめる作品だと思います。
 現在執筆中の続編、楽しみにしておりますよ。ええ、そりゃ連載を希望した人間ですし。


 冬葵伽さんへの感想はこちら、もしくはBBSまでよろしくお願いします。


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