眼を覚ます。
 時刻は深夜の二時を過ぎた頃であろうか。襖を隔てた向こうにいるこの家の主の様子をそっと窺う。自分が起きたことに気付いた様子は無い。そのことを確認し、ふと聖杯戦争の只中の彼の行動を思い出して苦笑する。これはまるであのときの彼のようだと。
 凛から頂いた当世の寝巻きを脱ぎ、普段着を身に着ける。白と紺の二色で構成された、シンプルで動きやすいこの服は、今でもお気に入りの一着である。袖を通し、髪を結い、
静かに玄関へ向かった。



 門を閉め、外へ出る。当然、辺りに人の気配は無い。夜気を孕んだ空気は清として身体を満たす。眼を閉じ内から澄まされる感覚に身を委ね、そのまま空を見上げながら閉じていた眼を開く。視界に飛び込んでくるのはかつて自分が見上げていた時とは貌を変えた星空と。

 変わらぬ儘でそこにある月だった。





「月に啼く獅子」






 足の向くままに歩を進める。何故自分はこのようなことをしているのか。明確に答えられる理由は何もない。ただ、今夜は予感がした。



 長い石段を一歩ずつ上る。思い出すのは一人の男。流麗なる軌道を描く剣閃。人の身でありながら高貴なる幻想にまでその技を昇華させた剣鬼。今にしても自分があの男に勝てたことが夢にさえ思える。見上げる山門に刹那とはいえ陣羽織の名もない侍を幻視したのはそのせいだろう。或いは気紛れな月影の見せる悪戯か。



 階段を上りきり、寺の敷地へと足を踏み入れる。
 ここにきて夜気はその質を清から神へと変えた。静謐に切り取られた世界。冒すのは自らの足音。噛締める様に歩を重ねる。
 一歩。二歩。三歩。
 四歩目を出して立ち止まった。
 振り仰ぎ再び月を見る。やはり変わらない姿でそれはそこに在った。
 変わらない月。古よりこの地上を眺めてきた月。全ての夜を識る月に私は問う。
 「……私に、シロウの目指す末を共に見る資格はあるのでしょうか」
 未だ最期の丘に囚われている自分。剣の丘への道を進むシロウ。行き着く果ては変わらない。なのに何故私はこんなにも――迷っているのか。

 国を守りたかった。人を守りたかった。人を守るために人を見捨てた。抗う者は斬ってきた。出来得る限りの人を救おうとこの身を王にして――最後は国を滅ぼした。
残ったのは悔恨。やりなおすことが出来るのなら、私よりも優れた王を。それが私の願い。しかしシロウは私を間違っていると言った。

「応えて欲しい。どうすればシロウの傍に居続けるけることができるのか」

 シロウ。彼は己の理想との対峙の果てに、答を得た。自分が欲しかった理想が、借り物だったとしても、決して届かないものだったとしても。それを願い続けることは、間違いではないという答を。
 強いと思う。その目はしっかりと前を見据えている。過去を振り返らず、傷つきながらも迷いなく理想の旗を掲げ振りかざす。
 そんなシロウの隣に、過去を見続ける私がいる。なるほど、シロウからしてみれば私は確かに『間違っている』。

 では――――何故シロウは過去を悔やまずにいられるのだろう?私と同じ理想を持つ彼だ。私と同じ苦しみをも持っていたとして何等不思議ではない。いや、持っていなくてはならない。それなのに、彼はその苦しみに決して俯かない。
 それこそが私の知りたい答。それが何であるかを得るために、この身は未だ現世を彷徨い続けている。

 しかし問い掛ける月はただそこに在るだけ。私が望む答など知る筈もない。
 零れる吐息は白く、私を伝って地に落ちる。



 月があまりにも綺麗で、知らず見惚れていたせいだろうか。
 気付くと、背後に人の気配があった。振り向く。



 「そなたが……何故」



 それは一体どんな幻想だったのだろう。
 流れる銀髪。深淵を見透かすような瞳。腰に佩いた細身の剣。最も旧き騎士であり、最も私が信頼した一人。隻腕の騎士が、静かに私を見据えていた。



 「王よ。そのような些事にお悩みであられましたか」



 ベディヴィエールは、それだけを言うと、静かに剣を抜いた。





 踏み込みを感知できたのはこの身に備わる予知にも近しい直感のお陰だった。掬い上げるような斬撃。身を返して躱す。急激な重心移動に体勢が崩れる。その流れに逆らわず地を転がり距離を取った。稼げた時間は僅かでしかないが、魔力で鎧を編み、風王結界を手元に喚ぶには十分。再びベディヴィエールが踏み込んでくる。
 速い。来るのが分かっていても彼の踏み込みを見切るのは難しい。今度は突いてきた。刺突による攻撃は始点さえ見つけることができれば斬撃よりも躱すのは容易い。身体を左に流しながら、風王結界を彼の剣に沿わせて軌道を逸らす。刺突はその後が死に体となる攻撃。返しの刃を叩き込もうと風王結界を握り締めたその時、彼の得意とした致死の連撃を思い出した。
 「くっ――――――!」
 数多くの戦を乗り越えて培ってきた経験と天性の直感を総動員させてその嵐に備える。
 次の瞬間、アサシンの『燕返し』にも迫る刺突の暴風がその牙を剥いた。その数なんと八。一撃を躱し、四撃を払い、躱しきれなかった三撃が腕と脇腹を浅く切り裂く。もし鎧を纏っていなかったら身に受けた三が一だとしても致命傷だったであろう。
 「っ!…………」
 反撃の一撃を振るうが既にベディヴィエールはこちらの間合いから離脱している。互いに正眼で対峙。時が止まる。



 「王。如何なされましたか?私如きにこれほど煩うとは」
 沈黙を破ったのはベディヴィエールだった。構えを崩さずに問いで返す。突然の戦闘で会話の暇も無かったが冷静になれば聞きたいことが山と浮かんできた。
 「そんなことより、何故そなたが現界している?私に剣を向けるとは一体どういうつもりだ?」
 幻術の一種やベディヴィエールに身を似せた何者かではないかとも思った。しかしそれではこの腕につけられた傷と先程の刺突の説明が付かない。幻術に傷はつけられないし、あの剣技は彼以外に使える者がいるとは思えない。
 アレは間違いなくベディヴィエール本人だ。何もかも分からない中で、それだけが確かな真実だった。
 「無論、王の招集によりますれば」
 「戯けるのも大概にするがいい。この世は既に我らが戦場を駆けた日より遥かな時。たとえ私が呼んだところでそなたがこの地に現れる道理は無い」
睨みながら答える。
 「ですが王。迷いを問い掛けていたとお見受けいたしましたが」
 息を呑む。彼は、今の私をどこまで知っているのだろうか。底が知れない彼の瞳を、私は初めて怖いと思ってしまった。
 「ベディヴィエール、そなたは」
 「騎士は主に仕える者。主に迷いがあるのなら言を提するのもその務めでありましょう。しかし私は彼の魔術師程に賢しくはありません。得手とするのは剣を振ること。故にこの刃を伴い、主に進言をさせていただきたく存じます」



 私の動揺を見てとったのか、ベディヴィエールの瞳が微かに揺らぐ。その揺らぎは悲しみとは違う、別の――――
 「王、先ず臣下の礼を失した発言をすること、お許し下さい」
 静かな言葉と共に、彼は三度踏み込んできた。しかしその踏み込みは先程までの二度とは打って変わった粗野で荒々しいものだった。
 彼の剣技は美しい。隻腕であることの不利を全く感じさせない。突風のような踏み込み。旋風を伴う剣閃。そして嵐のような突き。そのどれもが比喩ではない、血の滲むような努力で得たものだろう。しかし、今の彼はそれらの全てをかなぐり捨てて打ち込んできた。
 魔力を込めた刃で迎え撃つ。
 先程までの研ぎ澄まされた洗練さは微塵も無い。何時、どこから攻撃が来るのは先程よりも読みやすい。だがそれを凌ぐとなるとその険しさは先の剣とは天地の差があった。その一つ一つが、技を超えた何かで私を責める。
 「あなたは弱く、脆くなってしまわれた」
 肩を狙った一撃。受けた重みに膝が折れそうになる。その重さこそが、彼の剥き出しの感情なのだと、剣を通して私は理解した。
 「自分の結末を知り、過去を悔やんでしまうようになった」
 魔力を頼みに押し返しその胴体へ刃を打ち込む。
 「そんなあなたを、私は断じて認める訳にはいきません」
 その一撃は、しかし彼の剣に阻まれる。風王結界よりも細く、軽い剣に。ここまで来て、私はようやく、彼の剣筋が豹変したことの理由に思い至る。常に寂なる泉のような彼の瞳を揺らしたもの。
 つまり、彼は。
 「それを認めてしまったら――――あなたを王と認めた私の心はどこにいってしまうのですか」
 私と彼の出会いさえも悔やんでいる私に対して。
 「あなたを信じ、その身を剣と散らせて逝った者達の誇りは何処へいってしまうのですか――――!」
 どうしようもなく、憤っているのだ。



 振るわれた逆胴の閃を受け切れず大きく吹き飛ばされる。膝をつき、月を背に立つ彼を見やる。
 「――――そうか。そうであった」
 ベディヴィエールの言葉と、剣を受け、私は思い出した。彼と共にあった日々。
 迷いは無かった。多くを救うために迷い無く取りこぼした僅か。その僅かを片時も忘れた事は無かった。見捨てた僅かを忘れない事こそが、王の責務。選択したものの責務。
私を信じ、その剣と命を預けてくれた者達。その命を忘れたことは無かった。そう、それこそが王の最も大切な役目だったのだから。あの時、私は間違いなく王であった。
 だが、私は。
 決して忘れてはいけないそれらを、あろうことか全て消してしまいたいと願っていたのだ。
 そんなことは――――許されることではない。
 そう、私が礎にしてきた全ての誇りにかけて。私は振り返ってはいけなかったのだ。
 ならばこのような所で膝を挫けている場合ではない。さあ、立ち上がり、月に導かれてきた私の騎士に告げよう。私の覚悟を。
 「ベディヴィエール、そなたに感謝を。やはりそなたは私が最も信を置くに相応しい騎士である」
 その言葉に、ベディヴィエールは恭しく頭を垂れた。
 「この身に余る御言葉、恐悦の極みにございます」
 そして彼は構える、絶対の死を齎す刺突の型を。
 「それでは王、このベディヴィエールを倒し、王の覚悟を見事取り戻して下さいませ」
 瞳に、先程の揺らぎは無い。あるのはやはりどこまでも静かな視線。
 「よかろう。私の覚悟、とくとその目に焼き付け幽世に還るがいい」
 対する私は上段の構え。後ろに置いてきたものを忘れずに、置いてきたものを振り返らない。ベディヴィエール。私の最期を看取ってくれた騎士。だがその彼も今は過去。ならば今に生きる私は彼をも乗り越えなければならない。
 「――――いざ」
 「――――参る」
 同時に踏み込む。
 彼の刺突を全て防ぐ術は今の私には無い。ならば私にできることは防ぐことではなく。
――――技を出す前に斬ること!
 激突の瞬間、私は鎧の維持に使う魔力をも解除し、持てる力の全てを風王結界に籠める。


そして。


 私の一撃は、ベディヴィエールのそれよりも速く、彼の身体を袈裟に薙いでいた。





 「見事。王の覚悟、しかと見届けさせていただきました」
 翳むベディヴィエールの身体。しかしその顔には満ち足りた安らぎがある。彼は死して後も私に仕える騎士であることを誇りとしていたのだ。私には勿体無い程の騎士。だが今はそのようなことを口にするべきではない。彼は私に仕え、私は彼を信頼した。その過去にIfは無い。だから私は彼に別の言葉を贈る。
 「ベディヴィエール。そなたに誓おう。私はこれからも迷うかもしれない。だが決して過去を悔やむことはしない。そして決して――――そなたと駆けたあの丘を忘れない」
 隻腕の騎士は、柔らかな微笑みで返した。
 「王の誓い、遥かなる妖精の郷から見守ることにいたしましょう」
 そして最期に、本当に消え往く最期に。彼は。
 「――――大切な助言を忘れていました。王、あなたはもうその責務を全うされたのです。剣を降ろし、冠を置き、想い人と寄り添う夢を願う少女に戻ったとしても誰も咎めはしません。では、孤高であり続けた王のユメが、どうか幸せに満ちたものでありますように――――」
 何てトンデモナイ言葉を残して去っていった。
 残された私の声にならない叫びと茹で上がるように朱と染まった顔を知っているのは。



 かつて彼と共に見た姿のままの、満ちた月だけだった。



 今宵は月の満ちる夜。月は稚気の運び手も担う。なればこそ、この邂逅も泡沫の果てに見た幻想に過ぎなかったのだろう。






 (了)






 (あとがき)
 如何だったでしょうか。
 タイトルは中盤のセイバーの問いとオチの叫びに掛けて取らせていただきました。
 内容は……はい、お察しの通りベディヴィエールさんを書きたかっただけです(爆)
 あとはチャンバラのシーンを。
 ベディヴィエールさんの突きですが、「彼は槍の一突きで九箇所を貫いた」という逸話を耳にし、そこから引っ張ってきました。
 嘘設定、自己満足設定全開です(汗)
 SSを書くのはこれで二度目、あとがきは初めてです。
 まだまだ粗が多い未熟者の作品ですが、最後まで読んでいただきまして誠に有難うございました。






管理人の感想

 名無しさんより投稿を頂きました〜。当ページ初の投稿、ありがとうございます。

 で、SSを書くのがこれで二回目のとのことでしたが、ぶっちゃけ信じられないくらい上手です。
 情景描写、戦闘描写、人物の描写……すいません、参考にさせてください。マジで。
 特に戦闘描写は凄まじいものがあると思います。書きたかったと仰っているだけあって、力の入りようが半端でないです。
 そしてベディヴィエールの忠臣っぷりがイカしてます。私が女性だったら惚れてるかもしれません(爆)

 何はともあれホントにお見事。これからも期待してますので、頑張ってくださいね〜。

 ちなみにベディヴィエールの逸話ですが『マギノビオン』という物語にあるお話だそうです。



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