一陣のそよ風が、会話の流れを止めてしまうことがある。そのとき二人の少女も、髪の毛をなでた穏やかな春風に気を取られて、次に語るべき言葉を見失ってしまった。
 校舎の屋上。二人以外には誰もいない空間に、静寂が舞い降りる。二人のうちの片割れ、黒髪をツインテール状にまとめた少女は、不意に訪れた沈黙の中でふと、自分たちをとりまく現状について思いを巡らせていた。
 ツインテールの少女――遠坂凛は、その身にまとうブレザーが示すとおり、この穂群原学園の生徒の一人だ。しかし彼女は学生という表向きの顔のほかに、魔術師という裏の顔を持っている。
 科学技術がこの世のすべての理を解き明かそうとする現代に、それとは別の方法で真理の在り処を探す人々。それが魔術師である。そして科学を信望しないがゆえに、彼らはこの時代においては異端たることを余儀なくされる。ゆえに凛も他の魔術師たちと同じように、世間の目から己の素性を隠しとおさねばならなかった。もしそれが不可能になったとき、魔術師に待っている運命はただ一つ。他の魔術師たちからの制裁――すなわち死である。
 しかし、まだ若輩とはいえ、凛は一人前の、しかも優秀な魔術師である。その隠匿っぷりは17年間ほぼ完璧だった。うっかり結界を張り忘れたまま魔術実験に失敗して家の周囲に悪臭を撒き散らすような真似など、もちろんしたことはない。まだ一度しか。

「フッ、若さゆえのあやまちって認めがたいものよね……。あれ以来、ご近所さんからぱったり挨拶が来なくなったし」

「凛、どうかしましたか? 目がうつろになっていますよ」

「なんでもないわ。春風にふと昔を思い出して、ちょっぴりブルーになっただけよ」

「はあ」

 生返事をかえす連れに向かって、凛はぱたぱたと手を振った。振られたほうはしばらく首をかしげていたが、やがて視線を凛から外して、屋上から見下ろす校庭のほうへと向ける。
 ここからの眺めが気に入ったのか、彼女はずいぶんと熱心に、部活中の生徒がたむろする校庭を見つめ続けている。

(……ふむ) 

 隣に立つ自分の連れを、凛はちらりと見やった。穂群原学園の制服を身にまとった金髪碧眼のこの少女は、名をセイバーという。見た目どおりの外国人である彼女は、つい一週間前にこの学園にやってきた留学生だった。――表向きは。しかし彼女もまた凛と同じく、裏の顔を持つ人間であった。
 否。そもそも彼女は、人間ではなかった。
 英霊。世界と契約し、あるいは人々の信仰の対象となり、あるいは極限まで己を鍛え上げた結果、人よりも高次の存在に昇華した者たちの称号である。強大な王国に君臨した王、歴史に名を残す将軍、神話の中で語られる古代の英雄たちは、死後も英霊となって人類を守護するために戦うのである。そして、凛の隣に立つこの少女は、化け物ぞろいの英霊たちの中でも飛びぬけて強力な存在だった。
 なにしろアーサー王である。世界でもっとも有名な剣を所有する英国の守護神である。彼女が本気を出そうものなら、それこそ当たり前のように岩を砕き大地を割ってしまうのだ。実際に目の前で山一つを吹き飛ばされたときには、さすがに凛もわが目を疑ったが。
 そんな英雄中の英雄は、色々なごたごたの末に凛の使い魔となり、そしてさらなるごたごたの末に――現在、凛と同じ学校に通っていたりする。

(改めて考え直してみれば、これほどデタラメな話もないわよね。いまさらだけど)

 世界中で語り継がれる伝説の騎士王が、朝にいそいそと登校しては、普通の学生と机を並べて黒板の文字を板書しているのである。そして昼休みには陸上部の友人たちと雑木林で弁当を広げ、高跳びのエースからサンドイッチをもらったり、マネージャーからぽわわんな笑顔を向けられたり、短距離走のエースにいいようにからかわれたりしているのである。

「……蒔寺め。セイバーにまで悪さしてんじゃないわよ、ったく」

 腐れ縁の悪友に口の中で罵声をあびせつつ、凛はこうも思っていた。本当にこれでよかったのだろうか、と。
 アーサー王を日本の学校に通学させるための手続きには彼女自身も大いに関わったのだが、いざ事が現実になってみると、やはり何かが間違っている気がしてしまう。英霊としての役目とか神秘の隠匿うんぬんといった問題は別としても、純粋にセイバー自身のために、これが本当に最善の選択だったのだろうか。セイバーは現在の境遇を、本心では迷惑に感じているのではないか。
 どこぞのお人よしの魔術師見習いとは違って、彼女は幼いころから神秘に深く携わり、その峻厳を知る者である。そんな疑問が浮かぶのはむしろ当然のことであった。

「…………」

 凛は改めてセイバーを見た。
 いまの彼女には王の証たる選定の剣はなく、また不死を約束した鞘もない。
 騎士として侍らせるべき愛馬や従者も与えられていない。
 美しく飾り立てられた兜も、そして磨き上げられた銀の鎧もない。
 治めるべき国と統治すべき民をも、失って久しい。
 ――だが。

 セイバーは風に身を任せ、どこまでも遠くを見つめている。彼女の横顔に見入ったとき、凛は思わず息を飲んでいた。

 少女の口元に浮かぶは微笑。決して揺るがぬ自信をたたえた支配者の笑み。
 紺碧の瞳に浮かぶは光。何者にも屈することのない意志の炎。
 その身から放たれるは威風。天下万民をひれ伏させる王者の風。

 やはり少女は王だった。生まれる前から王となることを予言され、王となるために自らを鍛え上げ、一度も振り返らずまっすぐに己の道を貫き通した人間なのだ。
 粗末な衣服に身を包んでいても、少女の輝きに曇りはない。何もかもを失っていても、少女の誇りは消えていない。彼女はまぎれもなく無数の人間を率いるべき存在だった。セイバーの後ろに、凛は百万の軍隊を幻視した。

(ああ、やっぱり――)

 胸が締めつけられる思いを、凛は味わっていた。少女の気高さに感嘆し、少女の崇高さに寂しさを覚える。――この娘は遠い。はるかに遠い。どんなに親しくなろうとも、自分たちなどが彼女の心を埋めることは決してできない。
 セイバーが制服のポケットから何かの包みを取り出しても、凛は動けなかった。包みの中から顔を覗かせる小麦色の丸い何かを見ても、凛は思考を止めたまま、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
 セイバーが静かに口を開く。かつて国中の騎士と諸侯を号令一つで動かしたその唇が、小麦色の丸い何かにかぶりついた。――はむ。

 はむはむ。
 もぐもぐ。
 ごっくん。

「ふむ。やはり小腹がすいたときにはアンパンが一番ですね」

「…………」

「む? どこか調子が悪いのですかマスター。急に頭など抱えて」

「気にしないで。こんな判りきったオチを読めなかった自分自身を嫌悪してるだけだから」

 空になった包みを丁寧に折りたたんでいるセイバーを横目に、凛は胸中でため息をついた。どうも考えすぎていたようである。
 首を振って気分を切り替えてから、凛はあらためて会話を再開した。

「そういえば、最初に何を話してたんだっけ、わたしたち」

「私がどの部活に入るべきかという話だったはずですが」

「ああ、そうそう。そうだったわね。で、どうなのセイバー? いい部活は見つかったのかしら」

「それは……」

 自分のマスターからそう水を向けられて、セイバーは口篭もった。
 留学生という物珍しさ、そしてその美貌と運動神経に目をつけられたのか、セイバーはこの一週間というもの、学校中の部活から勧誘攻めにあっていた。始業前や放課後はもちろん、授業間の5分間休憩にまで勧誘員が出張してくる始末である。新しくできた三人の友人たちが気を利かせてくれなけば、彼女は昼食もろくに採れなくなっていたに違いない。
 だが、様々な部から熱心な説明を受けたというのに、セイバーの琴線に触れるようなクラブはまだ見つかっていなかった。
 答えを返すことのできない従者に、凛が不思議そうな顔をする。

「運動とかは嫌いじゃないんでしょ? うちの学校、体育系の部活はかなり充実しているんだけど」

「たしかに嫌いではありません。とくに武術関係全般は私も好むところです。しかし、その、正直に言えば」

「……なるほど。レベルが低すぎるってことね」

 あの冬木の虎ですら、セイバーの前では赤子同然なのだ。彼女を満足させられる技量を持つ者など、日本中探しても何人いることか。この学校の剣道部や柔道部ではとても太刀打ちできまい。

「それなら球技は? 卓球とか、バレーとか。ウチには女子蹴球部もあるんだし」

「マスター。お願いですから思い出させないで下さい」

「へ?」

 いきなり表情を硬くしたセイバーに、凛は少しばかり驚いた。ややあって、後日人づてに聞いた話を思い出し、ぽんと手を打つ。

「ああそうか。四日前にサッカー部の勧誘を受けたときに、士郎に向けて」

「ですからそのことには触れないでください凛」

 さらに表情を硬化させ、セイバーは主の話を途中で遮った。あんな忌まわしい出来事は早く忘れてしまいたかった。守るべき人のどでっ腹にミドルシュートを叩き込んでしまった思い出など。

「そういえば、球技は苦手だったもんね、あなた」

「別に苦手でかまいません。私はボールを友として生きていくわけではないのですから」

「あら、ま」

 口のへの字に曲げて憮然とする従者に、凛は思わず苦笑した。以前新都に遊びに出かけたとき、セイバーにフリーバッティングをやらせてみたことを思い出す。えらく綺麗なスイングをするわりには、彼女の打ち出す球はファールばかりだった。剣を自らのシンボルとする英霊は、どうやらボールとは極端に相性が悪いようである。

「じゃあ、球技や武道以外ではどうなの? 走ったり泳いだり、いろいろあるじゃない」

「それは……その。実際に練習に参加させてもらったりもしたのですが、正直、あまり興味は持てませんでした」

 少しだけ言いづらそうに、セイバーは答えた。練習時間を割いて自分の面倒を見てくれた陸上部の友人たち――特に、ぽわわんな笑顔のマネージャーに、心中で謝罪しつつ。
 英霊の身体は、物質ではなく魔力で編まれている。経験や知識を蓄積することはできても、身体を鍛えて筋肉を増やすなどといったことは不可能だった。となると、身体能力の向上を主眼においた競技には、どうしても魅力を感じられない。

「難しいわねー……」

 腕組みをして頭を悩ませる凛。しばしの黙考ののち、彼女は再びセイバーに目を向ける。

「じゃあ、もっと根本的なところから考えてみましょう。セイバー、あなたは昔、何を趣味にしていたの?」

「昔……ですか?」

「そうよ。士郎じゃあるまいし、いくらなんでも好きなことの一つや二つはあったんでしょ?」

「ふむ」

 セイバーもまた腕組みをして考え込んだ。
 国に身を捧げた彼女といえど、さすがにその生涯に何の楽しみも見つけなかったわけではない。彼女に近しい部下や諸侯たちは、宮廷内で孤立しがちなアーサー王を少しでも慰めようと、様々な趣向を凝らしてくれた。その中には、王の心を潤してくれたものも一つならずあったのだ。
 戦いと政務にあけくれた日々の合間に、しかし確かに存在した、つかの間の安らぎの時間。宝石のように貴重な記憶を振り返って、セイバーは口を開いた。

「紅茶。そう、紅茶は大好きでした。もしこの学校に紅茶を淹れる腕を競う倶楽部があるなら、是非とも入りたいところです」

「そういうクラブは存在しないわよ。ウチには」

「む」

 マスターに即答されて、少しばかり気落ちする。だが、まだ安らぎの記憶は残っていた。セイバーは気を取り直して次に移る。

「馬に乗るのも好きでした。思う存分馬を駆ることができる倶楽部などはないでしょうか」

「ないって。騎手学校じゃないんだから」

「むむ」

 今度の落胆は深かった。しかしまだ、記憶は残っている。これならばと気負いこんで、セイバーは続けた。

「獅子も好きでした。子ライオンを抱き上げたときの感触は今でも覚えています。獅子を飼育して、その成長を見守るような部は――」

「ないってば。絶滅保護動物を私的に所有できるわけないでしょうが、この日本で」

「むむむ」

 本格的に落ち込むセイバー。しかし、こんなところであきらめるわけには行かなかった。彼女は決然と主を見上げ、最後の希望を口にする。

「ならばせめて――ぬいぐるみ愛好会などは」

「ない」

「っ……!」

 存在しないというのか。ふわふわでモコモコのぬいぐるみに顔をうずめることの素晴らしさを解する人間が一人もいないのか、この学校は……!
 憤りにも似た衝撃を覚え、少女はよろよろと後退する。そのまま三歩下がったところで、彼女はがっくりと肩を落とした。凛から浴びせられる冷たい視線にも構うことなく、セイバーはしばし下を向き、その場で無念を噛みしめる。
 やがて彼女はふっと顔を上げ、悲しげな瞳で空を見つめた。

「見た目はこんなにも豊かなのに……。この日本という国は、とても文化レベルが低かったのですね」

「ちょっと待ちなさい。なんでそうなるのよ」

 半眼になりつつ凛が突っ込んだ。とくに愛郷心が強いというわけでもない彼女だが、紅茶と馬術とライオンとぬいぐるみだけを判断基準に母国の文化を一刀両断されてはさすがに黙っていられない。

「自分の国のものさしですべてを図るんじゃないわよ。ていうか、ぬいぐるみは関係ないでしょうがぬいぐるみは」

「何を言うのですかマスター。成熟した文化のもとでなければ、ぬいぐるみを愛好する豊かな精神は育たない。私は固くそう信じています」

 なにやら真顔で妙な信条を表明するセイバーに、凛はぴくりと眉を吊り上げた。しかし湧き上がる数々のツッコミをどうにか胸中に封じ込め、努めて冷静に話し掛ける。

「いいから、少しは真面目に自分の部活について考えなさい。大事なことなんだから」

「ふざけているわけではないのですが……。それに凛、無理に部活を決めなくともいいではありませんか。私は別に、貴女と同じ帰宅部でも」

「駄・目」

 反論しようとする従者に向かって、凛はにっこりと笑顔を浮かべた。彼女の弟子が「あくまわらい」と称する笑い方だ。

「性に合わなかったら途中退部してもいいけど、最低でも一ヶ月は部活を体験するの。もしあんたが自分で決められないなら、アミダくじでランダム抽選した部に問答無用で放り込むからね」

「そ、そんな横暴な」

「変な部に送り込まれたくないなら、ちゃんと自分で決めなさい。ちなみにこれは命令だから」

 あくまわらいに加えてマスターとしての特権をも振りかざし、凛はセイバーにとどめを刺した。そしてこれ以上の抗議は受け付けないとばかりにすたすたと歩き出し、階下に続く扉のほうへと向かう。

「あ、凛、ちょっと待ってください」

「ついてくる必要はないわ、セイバー。わたしは綾子の体調を診てから帰宅するから、あなたはもう一度校内を回って、よく考え直してみなさい。いいわね?」

 しかめつらしい表情で言いたいだけ言ってから、凛はばたんと扉を閉めた。そのまま階段を下りて弓道場へと足を向ける。
 廊下を歩く彼女の顔には、再び笑みが浮かんでいた。ただしそれは、あくまわらいではなく安堵の微笑み。

「子ライオンにぬいぐるみねえ……。なんだ、あの娘にもちゃんと女の子の部分があるんじゃないの」

 実のところ、凛が一番心配していたのはそこだった。
 聖杯戦争から3ヶ月以上が経過し、セイバーもこの時代での暮らしにだいぶ馴染んできてはいたが、禁欲的とも言えるその性格だけはあまり変化が見られなかった。王だった時代に笑うことを自らに禁じてきた少女は、今でも心からの笑顔を見せることはほとんどない。
 ゆえに凛は、無理やりにでもセイバーに様々な体験をさせて、彼女の心を揺り動かしてやろうと考えていたのだ。その一環が部活だったのだが――

「このぶんなら心配はなさそうね。自分でどっか適当な部を見つけてくるでしょ」

 鼻歌交じりに、凛はそう結論していた。セイバーはすでに王の衣を脱ぎ捨てている。戦いではなく平穏な日常の中にも、自分の居場所を見つけることができるはずだ、と。
 結論から言うと、凛の楽観は間違いだった。
 たしかにセイバーは戦いそのものを好んでいるわけではない。しかし、やはり彼女は王だった。己の信念を貫き通すために剣を取った騎士であった。
 目の前に不正義があれば、迷うことなくセイバーは戦いを選ぶ。そのことを失念していたツケを、凛は40分後に払わされることになる。





 同時刻、音楽室。
 衛宮士郎は正義の味方である。正確にはその見習いである。目指すはみんなが幸福な世界。誰もが大人になる前に捨てる理想を、あきらめることなく抱きつづける、彼はそんな人間だった。
 とはいえ、理想と現実との間に横たわる溝の大きさを、士郎も知らないわけではない。彼一人の力では、この世界に散乱する争いと不幸のすべてを消し去ることはできない。だから彼は、とりあえず自分の手の届く範囲の不幸だけでも片付けようと、己の特技を生かして日々努力していた。
 ようするに。今日も衛宮士郎は、学校の備品の修理に精を出していた。

「これでよし、と」

 故障物をいつも通りに魔術で精査し、問題の原因を見つけてから、いつも通りにスパナとドライバーでそれを排除する。年がら年中予算不足に悩まされている生徒会の会長と知り合った日から、ほとんど毎日のように繰り返してきた作業だ。本日のお題は音楽室のスピーカーで、その大きさにだいぶ手間取りはしたが、衛宮士郎はやはりいつも通り、自分の仕事を終わらせていた。
 だから、この後に待っているのもいつも通りの展開。生徒会の会長である柳洞一成から「毎日すまんな」と簡単な礼を言われ、「問題ない。何か起きたらまた呼んでくれ」と簡潔に答える。そんな日常。

「……さて」

 ――そんな日常は、つい二日ほど前に終わりを告げてしまった。
 士郎はスパナとドライバーを工具箱にしまうと、音楽室の入り口に向き直った。気まずげにぽりぽりと頬を掻きながら、閉められたままの扉を見つめる。その外では一成が待っているはずだ。修理は完了したのだから、彼を呼んでその旨を伝えなければならない。
 しばし逡巡してから、衛宮士郎は覚悟を決めて息を吸い、教室の外に向かって声を張り上げた。

「一成、終わったぞ!」

 間。
 数秒ほどの、間。
 それが過ぎ去った後、ようやく扉が開いて、生徒会長が入ってきた。妙にハイテンションな笑顔で。

「おお、すまぬな衛宮! いつもいつも見事な手際だ! いや、俺は本当に嬉しいぞ、お前のような友人を持てたことはとても喜ばしい!」

 なんとも不自然かつ大袈裟なセリフで喜ぶ友人に、士郎は微妙な笑顔を返すことしかできない。そのうえさらに親しげに肩を叩かれ、なおかつ握手を求められ、握った手を必要以上にぶんぶんと上下させられて、少年の表情はこれ以上ないほど引きつった。
 やっぱり知らせないほうがよかったのだろうか。今さらながらにそんな後悔が、士郎の胸中に湧き上がる。

 話は二日前にさかのぼる。その日士郎は、一成にある秘密を打ち明けたのだ。じつは自分が遠坂凛と恋仲にある、ということを。
 一成にとって凛は天敵だった。単純に嫌っているというわけではないようだが、とにかく士郎の古くからの友人は、学園のアイドルを苦手にしていた。だから士郎は、凛とつきあい始めてから三ヶ月以上が経過しても、その事実を一成に報告することをためらってきたのである。
 しかし、いつまでも隠しとおせるものではない。凛と過ごす時間が増えれば、一成の頼みや誘いを断る機会も自然と増えてしまう。それよりなにより、親友にいつまでも嘘をつき続けるべきではないと士郎は考えた。そんなことをしていれば、きっといつかよくない結果を呼んでしまう、と。ちなみにそのとき少年の脳裏をよぎったのは、弓道部の主将に真相がばれた際に恋人からたらふくガンドを喰らった記憶だったりするが。
 ともあれ。
 二日前、生徒会室で二人きりになったところを見計らい、士郎はついに一成に打ち明けた。「俺、遠坂と付き合ってるんだ」と。絶交されても仕方ないと腹をくくり、だけど彼なら自分たちの仲を認めてくれるかもしれないと期待もしつつ。
 その結果、士郎はまたしても、己の見通しの甘さを痛感させられる羽目になった。
 士郎の告白を聞いた一成は、まず絶句し、次に瞳に驚愕の色を浮かべ、怒りの朱で頬を染めたあと、急に何かにたじろいだように意気消沈した。そのまましばし沈黙した後、ようやく彼は顔を上げると、懇願するような視線を士郎に向けた。「嘘だと言ってくれ」と。士郎が唇を結んだまま首を横に振ると、一成は放心したように天井を見上げ、深い深いため息をついてから「そうか」とだけ言った。
 ――それっきり彼は何も言わず、呆然と虚空を見つめるだけだった。いたたまれなくなった士郎は、一成を置いて生徒会室をあとにするしかなかった。
 そして次の日、つまり昨日から、一成の言動はおかしくなってしまったのだ。

「うむ、頑張ってくれた衛宮にはねぎらいの緑茶でも出したいところだが、しかしもう時間がない。今日も夕食会があるのだろう?」

「え? いや、そうだけど、でも」

「ではいつまでも俺に付き合う必要はないぞ。おまえは早く帰宅しろ。客人を待たせるべきではないからな」

「だけど、まだあと30分くらいは――」

「だから俺に気を使う必要なぞ無いと言っている。おまえにはおまえの時間があるのだ、それを大切にするがいい」

 一成がからからと高笑いする。あからさまに無理のある笑い声だった。本音を必死に押し隠しているのが丸わかりだった。きっと彼の胸の奥では、いろいろな感情がぐるぐると渦を巻いているに違いない。いっそ素直にぶちまけてくれれば対処のしようもあるのだが。

(一成って、そういうことができないタイプだからな……)

 自分とは別の意味でお人好しすぎる生徒会長を横目に、士郎は悩んでいた。
 このままの状態でいいはずがない。彼とは一度、お互いに腹を割って話し合う必要がある。一成が凛のことをどう考えているのかを知り、自分が凛のことをどう考えているのかを伝えた上で、今後どうするかを決めるべきだ。その結果一成が自分を嫌うことになっても、それは自業自得とあきらめるしかない。
 ――とりあえず、そこまでは士郎も思いついた。
 ではいつ話し合おう? 本当なら今すぐがいい。これ以上一成に無理をさせたくない。ああ、けれども。

 士郎はちらりと教室の時計を見た。そして嘆息した。スピーカーの修理に手間取ったせいで、予定時間を大幅にオーバーしている。これでは今日は無理だ。いや、一成の家に乗り込むなり喫茶店に場所を移すなりすれば、本日中に話し合いをすることも可能ではある。だけどやっぱり、今日は無理だった。

「……ごめんな、一成。ご厚意に甘えさせてもらう。今日はこれで帰るよ」

「む? だからいちいち謝る必要などないと言っているだろう衛宮。相手の善意に甘えているのは俺のほうなのだからな。遠慮せずに帰るがいい」

「ああ。……この埋め合わせは、今週の土曜日にでも」

 そう言い残して、士郎は歩き出した。すれ違う瞬間に一成がひどく寂しそうな表情をしたようにも見えたが、心の中で謝罪しつつ、士郎は歩みを止めなかった。止められない理由があった。

(今日は先約があるんだ、一成……)

 みんなが幸福である世界こそが、衛宮士郎の理想。しかしいまだに見習いに過ぎない彼には、すべてを一度に救うことなどできない。二つの仕事を同時にこなすことなど不可能なのだ。だから断腸の思いで、彼は選択せざるを得なかった。

 ――ごめん一成。でも今日は勘弁してくれ。雷画のじいさんからジャガイモを大量にもらったから、夕食はコロッケにしようと決めたんだ。みんなでコロッケを作って、みんなで食べようって。その約束を、破るわけには行かないんだ。

 友情よりもコロッケ、じゃなくて家族の団欒を優先し、士郎はそそくさと音楽室を出て行った。
 もし彼がそのとき一度でも後ろを振り返っていれば、音楽室に工具箱を置きっ放しにしていたことに気付いただろう。だが後ろめたさに駆られた士郎は、一成のほうに向き直ることができなかった。そして工具箱を片付け忘れたがために、彼はのちの悲劇に巻き込まれることになる。





 士郎が音楽室から出たのと同時刻、セイバーは廊下を歩いていた。目指す先は玄関、最終的な目的地は運動場である。いちおう凛の言いつけどおり、もう一度校内の部活を見学して回るつもりだった。
 もっとも――セイバーは今や、多くの部から注目を集める身だ。普段ならば、彼女のほうからわざわざ赴かずとも、そのへんを歩くだけでたちまち部活の勧誘員たちが周囲に群がってくる。しかしクラブ活動の始まる時間をだいぶ過ぎた現在では、校舎の中に残っている人間はほとんどいなかった。気まぐれで帰宅を先延ばしにしている生徒とときおりすれちがうくらいである。
 さえぎる者もない廊下を、頭頂部から一房だけ飛び出た髪の毛をぴこぴこと揺らしながら、留学生がのんびりと歩く。他にすることもなかったので、彼女は歩みを止めないまま、むうっと考え込んでみた。

「マスターの配慮は嬉しいのですが……」

 セイバーとて凛の思惑には気付いていた。ことさらに自分をいろいろな場所に引きずりまわすのも、宮廷という狭い世界しか知らないこちらのことを案じているがためなのだと、理解はしている。

「けれども、私は王としての生き方、騎士としての生き方しか知らない。やりたいことを探せなどと急に言われても、困る」

 彼女は伝説の王だった。個人的な楽しみも趣味も捨て去って、すべてを祖国に捧げた人間なのだ。やりたいことなどいまさら見つけられるはずもなかった。子ライオンやぬいぐるみを愛好する倶楽部が存在しないとなれば尚更である。
 ――ぼそぼそと「なんと文化レベルの低い……」とか愚痴っているあたり、どうもかなりご執心の様子ではあるが。まあ、それはともかく。

「そもそも私の目的は、自分の罪を少しでも償っていくことなのです。無理に学校内で部活を探さなくとも、学外のボランティアに取り組むなどすればいいではありませんか」

 この場にいない主に向けて、そんな文句をこぼしてみる。それが意味のない提案であることは、セイバー自身がよく知っていた。三日ほど前に実際に凛にそう告げてみたら、彼女はにっこりと笑って「却下」と宣言してくれたのだ。どうやら彼女は、なにがなんでもセイバーに普通の学園生活を満喫させなければ気がすまないらしい。

「……こうなれば、アミダくじに我が天命を託すのもやむなしか……」

 セイバーが完全にあきらめ顔になった、ちょうどそのとき。彼女はふと、見知った人間が廊下の先から歩いてくるのに気付いた。以前何度か会話を交わしたこともあるその生徒は、どこか不自然な無表情を眼鏡の下に押し込んで、工具箱を片手にとぼとぼと歩を進めている。

「む?」

 真正面にいるセイバーにも気付かないまま、彼は途中で立ち止まると、片手でどこかの教室の扉を開けて中に入っていった。セイバーの記憶が正しければ、その教室は――

「生徒会室、ですね」

 つぶやく少女の胸中には、その教室への興味が芽生えていた。そういえば生徒会の活動内容については、まだ自分は知らされていない。駄目でもともと、説明を受けても損にはなるまい。そう考えた彼女は、当初の予定を変更して生徒会室に足を向けることにしたのだった。





 柳洞一成にとって、生徒会室は自分の家のようなものである。入学してからの二年間、彼はこの部屋を拠点として、緩みきった生徒会を立て直そうと孤軍奮闘してきた。暑い夏も寒い冬も、放課後には必ず一度はここに顔を出し、議事録を読み返したり帳簿とにらめっこしたりしてきた。今では天井のシミの位置すら暗記しているほどの、深くて長いつきあいだ。
 だから、この部屋に戻ったとたんに彼の緊張が解けたのは、むしろ当然のことだった。

「……っ!」

 取り繕った無表情が一気に崩れ、溢れんばかりの無念が彼の瞳に浮かぶ。刀折れ矢尽き気力も萎え果てた、それは敗軍の将の顔だった。

「天は俺を見捨てたもうたか……!」

 椅子にどさりと腰掛け、手に持っていた工具箱を机の上に投げ出して、一成は悲痛な声を上げる。普段の彼なら絶対にやるはずのないそれらの言動は、彼が置かれた境遇の過酷さを示していた。
 前述のとおり一成は、一年生のころから生徒会に身を置き、やる気のない他の役員たちを叱咤激励して、よりよい学園生活を実現しようと努力してきた。そんな彼にとって最大の敵となったのが、運動系の部活ばかり優遇される予算会計であり、裏でこっそりと糸を引いてその不平等を作り出している一人の生徒であった。ちなみにその生徒の名を遠坂凛という。柳洞一成のこの一年間は、学園のアイドルたる彼女との暗闘に費やされたと言っても過言ではない。
 そして彼の戦いは、何一つ実を結ぶことなく終わった。無気力な役員たちしか手駒のない生徒会長と、学校中の男子および運動系の部活から支持を集める学園のアイドルとでは戦力差がありすぎた。一成は結局、予算の流れを変えることはできなかったのだ。挙句の果て、昨年度の卒業式における在校生代表という役目まで、彼は凛に奪われてしまった。

「くぅ……!」

 演壇に立ってすまし顔で送辞を読み上げる凛の姿を思い出し、一成の屈辱はさらに深まった。学校中の女子を騒がせる優雅な顔立ちは苦悩にゆがみ、流麗な額には深い縦皺が刻み込まれている。根が生真面目なぶん、いったん思いつめるとなかなか出口が見つからないのだ。
 3ヶ月前ならば葛木がいた。彼は寡黙な人間だったが、一成の欠点をよく知り、短い言葉で少年に助言を与えてくれる頼もしい導き手だった。だが厳しいながらも優しかったあの男も、今はもういない。2月の校内ガス中毒事件と前後して、婚約者とともにふらりとどこかへ消えてしまった。そして、いまや一成にとってほぼ唯一の理解者となったあの少年も――

「衛宮よ。おまえも俺の元から去るのか……」

 ひとりごちてから、一成はふと顔を上げた。さきほど放り投げた工具箱が、机の上で横倒しになってしまっている。少年は慌ててそれを拾い上げ、どこかに傷がついていないかを確かめた。

「異常なしか……よかった。しかし、怒りに任せて他人のものを乱暴に扱ってしまうとは、なんという未熟。俺もまだまだ修行が足らぬな」

 喝、と口の中でつぶやきつつ、一成は工具箱を持って立ち上がった。部屋に備え付けのロッカーへと向かい、その扉を開ける。
 今日も自分を手伝ってくれた、一年のころからの親友。善意の塊のような友人が音楽室に置き忘れていった道具を片付けているうちに、煮えたぎっていた一成の感情も次第に落ち着いてきた。
 だが、その親友がいまや仇敵の手に落ちていることを思い出し、生徒会長は再び憤怒に顔を染める。

「なぜだ……なぜだ衛宮! なぜよりによってあの女狐なのだ!?」

 そう。そのこともまた、一成が思いつめる理由の一つだった。
 士郎が恋人を作る。そのこと自体は別に構わない。むしろ歓迎すべきことだ。
 恋人ができれば、士郎にとってその人が一番大事な人になり、自分は二の次以下になる。それもまた仕方がないことだ。士郎と自分の仲は――残念ながら――あくまで友情なのだから。
 だが、彼の相手が凛であるということだけは認められない。認められるはずがない。

「あやつは男をたぶらかす化生だぞ!? その美貌に騙されたが最後、骨の髄までしゃぶりつくされるのがオチだ! わがままな言動に振り回され、家事の一切を押し付けられ、デートと称して買い物の荷物持ちをさせられ……。おまえは一生あやつの尻に敷かれることになるのだぞ、衛宮!」

 今ここにいない友人に向けて一成が叫ぶ。言っていることは偏見混じりのあてずっぽうなのだが、実はかなり正確な推測だったりする。「ガンドの的にされてひどい目にあう」という項目を加えればほぼ完璧だ。
 だが。憶測が正しかったとして、それが何の慰めになろうか。二日前に躊躇してしまったことを、一成はいま心の底から悔やんでいた。
 士郎から事情を伝えられたとき、即座に反対すべきだったのだ。たとえ親友から嫌われることになったとしても。だというのに――

「おまえがあんな男らしい表情をするものだから、思わず見とれてしまったではないか! くうっ、ものすごく格好よかったぞ、衛宮!」

 がっくりと肩を落としつつも感動に打ち震える生徒会長。不気味だ。かなり不気味な図だ。しかし無念の思いに囚われている一成はそんなことにも気付かない。彼はひたすら自分の友の将来を案じていた。

「衛宮……おまえのような善良な人間には、もっとふさわしい相手がいるだろうに。おまえの伴侶となるべきは、おまえの身を心から案じてくれる優しい女性であろうに」

 たとえば間桐の妹。文武両道の器量よしで、性格も穏やかの一言。内気すぎるのが玉に瑕だが、最近は明るい顔もよく見せるようになった。次代の学園のアイドルの座も夢ではないと噂される少女だ。
 なにより彼女は、士郎に並々ならぬ想いを寄せている。そのはずだ。ほぼ毎朝のように衛宮邸に通いつめていたのだから間違いない。ていうか、どうして今まで浮いた話の一つもなかったのかが不思議である。

「間桐の妹を除いても、他にも善き人はいただろうに……。陸上部の三枝さんとか藤村先生とか。いや先生はさすがに倫理面で問題があるな。それと年齢面でも。うむ」

 藤ねえがこの場にいたら虎と化して暴れまわっていたであろうセリフも平然と言い捨てて、一成はさらに思いを巡らせた。
 ――そう。凛などより士郎にふさわしい人間は掃いて捨てるほどいる。つい最近も、そんな素晴らしい人間が彼の近くに現れたばかりなのだ。あの人と結ばれたならば士郎も幸せになれるだろうと、一目見ただけの一成も確信できたほどの女性。だというのになぜ我が友人は、彼女を選ばず女狐を選んでしまったのか。
 無念の思いを募らせるあまり、生徒会長は机を叩いて絶叫した。

「なぜだ衛宮!? もしこれがセイバーさんだったならば、俺も心からお前を祝福したというのに!」

「私がどうかしましたか?」

「うわわわわわわおわをわっ!?」

 謎の洋館探索中にいきなりゾンビに襲われた海兵隊員さながらの華麗な跳躍で、一成は机の下に飛び込んだ。狭い空間で器用に前転して間合いをとったのち、彼はあわてて背後を振り向く。そこにいたのは、ひたすら人肉を求めてさまよう食い意地の張ったモンスター、ではなく――

「せ、セイバーさん?」

「そうですが……大丈夫ですか?」

 自分はけっして食いしんぼではないと常日頃から言い張るハラペコ美少女、セイバーだった。もはやすっかり見慣れたブレザー姿の彼女は、机の下に退避した一成を、背を屈めて覗き込んでいる。

「もしかして、突発的な発作に襲われたとか。であるなら、すぐに保健室に連れて行きますが」

「違います! 俺の身体に異常はありません!」

「いえ、無理はいけません。大事を取って、救急車を呼んできます」

「ですから大丈夫ですって!」

 大真面目な顔をして生徒会室から出て行こうとするセイバーに、一成はあわてて机の下から這い出た。本当に119番通報されてはたまらない。

「今のは……そう! 地震に際しての避難訓練を自主的に行っていたのです! 俺はいたって正常ですから、黄色い救急車などは必要ありません!」

「はあ。ならばよいのですが」

 いまいち納得していない様子のセイバーを横目に、一成はひっくり返った呼吸と動悸を静めようと深呼吸を繰り返した。自分の世界に浸っているときに不意打ちをかけられるのは、誰にとっても心臓に悪すぎる。
 数秒ほどで気分を落ち着けてから、一成はひとつ咳払いしてセイバーに向き直った。

「その、生徒会室に何のご用でしょうか」

「生徒会の活動内容を聞きに来たのですが……何度ノックしても返事がないので、勝手ながら入室させていただきました」

「そうですか、それは失礼を」

「ついでに奇妙な叫び声も何度か耳にしたのですが、本当に大丈夫なのですか?」

 やはり真顔でそう尋ねられ、一成は再び呼吸を乱した。いくら激情に駆られていたとはいえ、あんなことを大声で叫んでしまうとは。しかもそれを他人に聞かれてしまうとは、恥ずかしいにも程がある。
 どうにか事の次第を誤魔化そうと、一成は冷や汗を流しながら話し始めた。

「それはですねセイバーさん、つまり生徒会の今後の予定をたてるべく思案にふけっていたのですが、遠坂の女狐めの謀略をどう排除すべきか頭を悩ませた末に、つい……」

「凛? 凛がどうしたのです?」

 きょとんとするセイバーに、一成は今度こそ真っ青になった。いったい自分は何を口走っているのだ。彼女が遠坂の家にホームステイしていることは周知の事実だというのに、その当人の前で遠坂の悪口を言ってしまうとは!

「す、すいません! 今のは忘れてください! 決して俺が遠坂の女狐めを……じゃなかった遠坂さんのことを嫌っているというわけではなく、ただ単に苦手にしているというかいやそうじゃなくてああつまり!」

「?」

 どもりながら捲し立てる一成を、セイバーは小首をかしげて見上げている。彼女の瞳には何の悪意も疑いもなく、ただ純粋に、一成を気づかう感情だけが浮かんでいた。真っ直ぐな、真っ直ぐすぎる瞳に見据えられ、あわただしく動いていた生徒会長の唇がぴたりと止まる。

「ああ、うう……」

 綺麗だった。人間離れした、神仏のような美しさだった。あまりに清浄すぎて、恋慕を寄せるよりもひざまずいて崇拝したくなるような美だった。
 本当に美しいものを見たとき、人は怒りや悲しみといった負の感情を忘れ、その美しさに見入ってしまうという。本当に清いものを見たとき、人はふと己の姿を省みて、自分の醜さに恥じ入るという。今の一成がまさにその状態だった。

「俺は……」

 そのとき初めて、一成は自分を疑った。凛のことを認められず、凛と士郎の仲を断ち切ろうとする自分を疑った。間違っているのはあの二人ではなく、自分自身なのではないかと。
 思い返せば、凛の周囲には自然と人が集まっていた。その美貌に骨抜きにされた男子生徒ばかりではなく、様々な人間が。たとえば弓道部の美綴、陸上部の蒔寺。彼女らは凛の猫被りに騙されているだけなのだろうか。それとも――

「俺は……」

 呆然と、つぶやく。
 彼の胸中では、己の間違いを認めようとする心と、自分こそが正しいと頑なに思い込もうとする心がせめぎあっていた。そのせめぎあいに決着がつかないままに、彼は顔を上げ、セイバーを見る。
 この人は。誰よりも澄んだ瞳を持つこの人ならば、きっと凛の本質も見抜いているはず。自分よりもずっと凛の近くですごしてきた彼女の目には、凛はどんな人間に写っているのだろう。
 意を決した一成は、静かに口を開いた。

「不躾ですが、一つ質問をしてもいいでしょうか、セイバーさん」

「……はあ。私は構いませんが」 

「あなたは、遠坂さんのことを――どう思っておられるのですか?」

 あまりといえばあまりに唐突な質問。しかしセイバーは、ごくわずかの間を置いただけで、迷うことなく言い切った。

「とても、いい人です」

 瞬間、一成は崩れ落ちるように椅子に腰を降ろした。力なく背もたれに体重を預け、虚空を見上げる。セイバーが微笑とともに発した一言は、彼が今まで戦ってきた理由を粉々に打ち砕いていた。

「俺が……俺こそが、間違っていた。そうだったのだな、衛宮……」

 目からは自然と涙がこぼれていた。些細なことにこだわって単純な事実に気付かなかった自分の愚かしさが、今さらながらに悔やまれる。もっと素直になればよかったのだ。そうすれば自分も目を曇らせることなく、遠坂のよさに気付けただろうに。
 遠坂の周囲には常に人が集まっていた。その美しさに目がくらんだ人間ばかりではなく、彼女の本質にこそ惹かれた人々が。セイバーもその一人だった。ならば士郎がそうではないとどうして言い切れよう。いや、あれほど善良な人間だからこそ、表面上の事象に惑わされることなく本質を見抜けたに違いない。だというのに俺は、俺は――
 己の醜さをまざまざと思い知らされ、生徒会長は涙にむせぶことしかできなかった。一方のセイバーはというと、一成がしきりに眼鏡の下をぬぐっているのにも気付かず、あさっての方向を向いてなにやらぶつぶつとつぶやいていたのだが。

「まあ本音を言えば、凛にも正してもらいたい部分がないわけでもないのですが。あのうっかりは仕方ないとしても、妙に悪戯好きだったり色々と強引すぎる点はどうにかすべきです。シロウに対して際限なく甘えたりわがままを言ったりガンドを叩き込んだりするのも。それと、ときおり見せるあの笑顔も非常に心臓に悪いですし、私のことをたびたび食いしんぼ呼ばわりするのもどうかと……って、ちゃんと聞いていますか一成?」

「……ええ、もちろんです。俺は己の未熟な精神を鍛えなおすため、明日から四国八十八霊所巡りの旅に出ます……」

「誰もお遍路さんになれとは言っていないのですが――む?」

 一成の嗚咽交じりの宣言を耳にして、ようやくセイバーは異常に気付いた。背後を振り向いてみれば、生徒会長が白いハンカチでごしごしと目元をこすっている。

「い、一成!? いったい今日はどうしたというのです!? 本当に具合が悪いのではないですか!?」

「いえ、違うんです。俺はただ、己の間違いに気付いただけです」

 救急車を呼ぶために再び踵を返そうとするセイバーを、一成は手で制した。涙はまだ乾いていなかったが、彼の心は澄み切っていた。もはや凛への憤りなどどこにもない。彼の胸中を占めるのは、己の間違いを正してくれたセイバーへの純粋な感謝の念だけだ。
 悟りきったような表情で、生徒会長は少女に微笑みかけた。

「大丈夫ですよセイバーさん。俺は、これからも頑張っていきますから」

「あの。なんだか自己完結してしまっているところを申し訳ないのですが」

 完全に置いてけぼりにされて、さすがにセイバーも瞳に不審の色を浮かべる。

「私にはさっぱり話が見えません。できれば事情を教えていただきたい」

「事情……ああ、これは失礼しました。転校してきたばかりのあなたは、俺と遠坂の縁については何も知らないのでしたね」

 やはりどこか突き抜けた笑顔のままで、一成は過去を振り返る。凛と初めて知り合った中学時代。彼と凛との衝突は、そのころから始まっていた。
 対立のきっかけは些細な出来事だった。普通の人間なら笑って見過ごすような小さな齟齬だった。けれども自分はそれを見過ごすことができなかった。見過ごせなかったがために、凛を認めることができなかった。
 いま思い返してみれば、自分はなんと――愚かな遠回りをしてきたことだろう。

「セイバーさん。少し長い話になりますが、俺と彼女の昔話を聞いていきますか?」

「はい? ……まあ、それには私も興味がありますが」

「そうですか、ではお話ししましょう。俺の間違いも愚かさも、今となってはすべて笑い話です。お耳汚しでしょうけれど、どうか笑って聞いてやってください」

 そう前置きして、一成は話し始めた。己の過ちを洗いざらいぶちまけてすっきりしてしまおうという心も、どこかに働いていたに違いない。だが、その何気ない行為が思わぬ結果を生むことになろうとは――神ならぬ彼には、予想できるはずもなかった。





 一成が昔話を始めてから30分ほどが経過したころ。遠坂凛は、弓道部の主将とともに校舎の廊下を歩いていた。ちなみに二人とも制服姿である。

「ってことは、今日は綾子はこれで上がりなの?」

「練習のほうはね。このあと、あたしと藤村先生と桜の三人で冊子作りをやらなきゃいけないんだ。次の大会に向けての特別練習メニューを解説するヤツ。印刷したりホッチキスで止めたり、これはこれで色々と大変なんだよ」

「そんな仕事を主将がやるの? 二年にでも任せればいいでしょうに」

「あたしもそう思わないでもないけど、藤村先生がね。現場の監督者たる者は積極的に他人の嫌がる仕事を引き受けるべきなのだーとか力説するもんだからさ。まあ仕方ないかなって――うん?」

 歩きながら凛と雑談を交わしていた弓道部の主将が、急に立ち止まる。綾子の視線は、自身の真横にある教室の扉に注がれていた。

「綾子、どうしたの? 教室に原本を置き忘れたんでしょ? 早く取りに戻らないと藤村先生が暴れるわよ」

「ああ、いや、それはそうなんだけど……」

 真横を向いたまま、弓道部の主将は動かない。彼女の額には冷や汗が一筋流れている。不審に思った凛は、もときた道を引き返して綾子の横に並んだ。

「どうしたのよ一体。生徒会室に何かあったの?」

 綾子が見ていたのは、生徒会室のドアだった。いつものように閉じられたままのそれは、どこがどう変化しているというわけでもない。ドアの上方につけられた小窓から見える範囲では、教室の中にも異常は見られなかった。

「……別に、何もないじゃない」

「うん、たしかに見た目はそうなんだけど。なんだか中から殺気というか、異様なオーラが流れ出ているような……」

「は?」

「いや、敵意がないから殺気じゃないか、コレは」

 美綴綾子。「美人は武道をしなければならない」という過激思想をその身で体現する女である。争いの気配を嗅ぎ分ける能力では、インチキ空手をかじっただけの凛をはるかに上回る。さし迫った危険はないと判断した綾子は、いまだきょとんとしている凛をよそに生徒会室の前まで歩み寄った。そのまま無造作に扉をノックする。

「おーい、大丈夫か生徒会? 喧嘩とかなら止めに入るぞ?」

 ついでとばかり、彼女はドアの小窓から部屋の中を覗き込んだ。きょろきょろと視線を巡らせてみれば、果たして部屋の奥のほうに人影が二つ。
 一人は眼鏡の生徒会長。普段はその優雅な顔だちで年下の女子生徒から熱い支持を集める彼は、なぜか今は恐怖に顔を歪ませて、生徒会室の床にへたり込んでいた。B級ホラー映画の哀れな犠牲者役も務まりそうな見事な怯えっぷりである。そしてそんな彼の傍らには、小柄な背中を精一杯いからせて仁王立ちする女子生徒が一人。

「……セイバー?」

 常に物静かなはずの美少女が、爆発寸前の火山のようにぷるぷると肩を震わせている。その尋常でない様子を見て取って、綾子はすぐさまドアノブをひねった。扉を押し開け、中にずかずかと踏み込む。

「おいおいセイバー、柳洞を襲う気か? 食べてもたぶん美味しくないぞ――」

 軽口を叩きながら仲裁に入ろうとして、弓道部の主将はぴたりと立ち止まった。彼女の背後から「勝手に入ったら生徒会長がうるさいわよ」と忠告しつつ入室してきた凛も、同じくその場で立ち尽くす。
 セイバーが、振り返っていた。
 ――その蒼い瞳を、昏い色に輝かせて。
 彼女の視線はただ一点、綾子の隣にいる遠坂凛に向けられていた。

「凛。貴女と……貴女という人は……」

「あ……えーと……」

 完全に呑まれた綾子は、身動き一つできなかった。2月に正体不明の怪物に襲われたときのことがちらりと脳裏をよぎる。あのとき感じたのは吐き気をもよおす陰湿な悪意だったが、いまセイバーが放っているのは土下座して詫びを入れたくなるほどの明瞭な怒気だ。前回と違って直接的な危険こそないけれど、非常に心臓に悪いことには変わりない。
 深く考えもせずこの部屋に入ってしまったことをかなり後悔しつつも、弓道部の主将は首を無理やり横にねじ曲げ、低い声で問いかけた。

「おい遠坂……。あんた、なにやったの」

「な、な、な、何もしてないわよわたしは!」

 セイバーの怒気に直接さらされている凛は、綾子よりもさらにひどく、半分がた腰を抜かしていた。部屋の壁を支えにして、床にへたり込むのをどうにか阻止している状態だ。予想外すぎる事態に半狂乱になりながら、それでも凛は残る理性を総動員して、この事件の主犯格と目される人物に指を突きつけた。

「一成! あんたセイバーに何をしたのよ!?」

「わ、悪さはしてない! 本当だ! 俺はただ、中学時代の思い出をセイバーさんに語っただけだ!」

「そんなんでこの娘が怒るわけないじゃない! 嘘つくんじゃないわよ!」

「いや、だから!」

 騎士王からガンくれられている凛には猫を被る余裕などなく、怒る騎士王の間近にいる一成にも凛の言葉遣いの荒さをとがめる余裕はない。二人は必死でセイバーから視線を反らし、悲鳴にも似た言葉の弾丸を応酬しあう。

「俺が話したのは、遠坂、おまえが中学校で生徒会の副会長をやっていたときのことだ! おまえ、なんだかんだと理由をつけて文化系の部活の予算を削ったことがあったろう?」

「削ったってアンタ、一つの部につき2000円ぽっちのことじゃない! その浮いた予算で陸上部は新しい運動靴を購入できたんだから、悪いことなんて一つもないでしょうが!?」

 堂々と言いきる凛の態度に、生徒会長はわずかに頬を引きつらせた。だが脇道にそれている場合ではないと判断し、説明を続ける。

「俺は笑い話で済ませるつもりだったのだが、その件を話したとたんにセイバーさんの雰囲気が一変したのだ。ものすごく怖い目つきで俺を睨んで、他に余罪はないのかと追求してくるもので……」

「余罪ってなによ、余罪って!」

 まったく自覚のない様子で怒鳴りつけてくる凛に、一成の忍耐力もついに底をついた。破れかぶれで怒鳴り返す。

「貴様の公私混同の悪癖のことだ! それを洗いざらい話してしまったのだ、俺は!」

「なっ……!?」

 セイバーの怒りの理由を、凛はようやく理解した。同時に事態の深刻さも。
 たしかに彼女は中学時代、自分の職権を利用して、懇意にしている部員のいたクラブに有利な予算を組んだことがある。高校では生徒会には入らなかったが、運動系の部活からの圧倒的な支持を背景に、生徒会に無理やり要求をねじ込んだことが何度かあった。本人にしてみればちょっとしたボランティアのつもりだったのに、まさかこんなところでそれが裏目に出ようとは――!
 ごくりと唾を飲み込んでから、凛はセイバーのほうに向き直った。こういったことに関してはとんでもなく頭の固い少女へと。

「セイバー。一成の――柳洞くんの話を真に受けたりはしてないでしょうね。本人のいないところで悪口を言いふらすような軟弱男の言葉を、まさか鵜呑みにしたりはしないわよね?」

「ぐっ……!」

 心臓を抉られたような表情で一成がうめいた。本人の意図はともかく結果的には凛の言うとおりの図式だったので、半泣きになりながらも反論は手控えたが。

「わたしからも事情を説明するから、冷静になって話し合いましょう。そうすれば誤解もすぐに解ける――」

「マスター」

 瞳に燃える激情はそのままに。セイバーは冷え冷えとした口調で、部屋の真ん中にある机を指差した。

「私が裏も取らないとでも思いましたか?」

 彼女の指の先には、生徒会の帳簿と議事録。ここ数年の予算の動きと生徒会の活動内容を克明に記した書物が、机の上に広げられていた。凛はぎゃふんとつぶやく。もはや下手な言い逃れは通用しない。

「たしかにこの学校は昔から、運動系の部活を重視する傾向があったようですが――貴女が入学した年から急激にその傾向が強まったのはどういうわけです?」

「そっ、それは……」

「弓道部などは器具のすべてを一新したというのに、文化系の部活の多くはストーブを修理に出すこともままならないとは。不公平にも程があるとは思いませんか、マスター?」

「えーと、そのへんはまあ、わたしもちょっとやりすぎちゃったかなと反省しないでもないんだけど」

「これを主導したのは……貴女なのですね?」

 聞くものの背筋を凍らせる無慈悲な声音。質問の形をとってはいたが、それはただ事実を確認するために発せられた言葉に過ぎなかった。ごまかす余地のないことを悟り、凛はこくこくとうなずくことしかできない。
 ――と。

「凛。部活の件ですが」

 主の答えを得たセイバーは、そこで華やかな笑みを浮かべた。

「私はたった今、己がやるべきことを見つけました」

「へ?」

 唖然とする凛をよそに、少女は背後へと振り返った。床にへたり込んだままの生徒会長に歩み寄り、彼の手を引いて立ち上がらせる。

「一成、いままでよく頑張りました。孤独な戦いのつらさは私も知っています。圧倒的な勢力を相手に戦いつづけた二年間はさぞや苦しかったことでしょう。しかしもう、貴方は孤軍ではありません」

「え? あの、セイバーさん、急に何を――」

「私が貴方を援護します。我が剣を捧げることはできませんが、貴方を脅かす敵ことごとくをこの手で打ち払うことを約束しましょう。一成はこれまでどおり、この学園の不正と腐敗の一掃に取り組んでください」

「いや、えーと。俺が正すべきなのは、ささやかな不正も気になって仕方がない自分の器の狭さであって――」

「何を言いますか! 真に正されるべきなのは、数の力を背景にした不当な圧力です! 貴方は何も間違っていない!」

 セイバーがきっぱりと断言し。
 その瞬間、一成の瞳に色が戻った。

「間違って、いない……?」

「そうです。貴方は正しい。間違ってなど、いない」

 呆然とする少年に、金色の髪の少女がくりかえし念を押す。
 ――くどいようだが、彼女はアーサー王である。崇高な理念を掲げて戦い抜き、勝利しつづけた伝説の英雄である。ゆえに彼女は騎士道の代名詞であり、清廉さの象徴として今に謳われる人物なのだ。そんな英雄から直々に称賛を受けて、心を動かされない者などいるはずがない。

「間違って、いない……」

 一成の表情から困惑が消えた。精神に巣食っていた迷いが一掃され、深い感動を伴った喜びにとって代わられる。落ち込んでいたはずの肩に自信がみなぎり、曇っていた眼鏡のレンズにすら輝きが戻った。

「そうだ。俺は間違っていない。公平な予算配分、公正な委員会運営。それを目指して戦うことに、間違いなんてあるはずがない。俺の二年間は正しかった。俺の戦いは、間違いじゃなかった……」

 生徒会長の目からぼろぼろと涙がこぼれる。哀しみの涙ではなかった。それは歓喜の涙だった。長い孤独な戦いの果てに、彼はついに希望の光を見つけたのだ。100万の兵にも勝る援軍を得て。

「ふはははは! 勝てる! これならば勝てる! 一年を待たずとも、夏休み前には文化系の部活を取りまとめて決戦に臨むことができるぞ! 学園に長く続いた不平等の時代に、俺がこの手で終止符を打つのだ!」

「一成、その意気です! 清く正しい学生生活のために、持てる力のすべてを振り絞りましょう!」

 ――かくして同盟は成立した。古き時代の英雄と、新しき時代の一介の少年。心を通じ合ったわけでもなく、肩を並べて戦ったわけでもない二人。しかしたった一つの理念を共有するがゆえに、彼らはお互いを認め合ったのだ。
 何よりも秩序を重んじる精神。誰よりも公平さを求める心。わずかな不正も見逃さず、みんなのために戦いつづける気高き魂。その名を、委員長気質――

 ここに、私立穂群原学園の新しい時代は始まった。

「待ちなさい、あんたらぁぁぁ!」

 開始から数秒で、凛の金切り声に引き裂かれてしまったが。

「何!? なんなのよこの展開!? ていうかセイバー、あんたわたしを裏切るわけ!? 一宿一飯どころか103日と二食分の恩があるわたしを裏切って、生徒会につくっていうの!?」

 やたらと細かく食事の回数を数え上げながら凛が迫る。衛宮邸で出されたごはんまで勘定に入れているあたりが素晴らしくセコい。この恐るべき攻撃の前には、さしもの騎士王も大ダメージは必至のはずだった。
 ――しかし。

「凛。私は裏切った覚えなどありませんし、貴女から受けた恩を忘れたわけでもありません」

 主人の舌鋒を、セイバーは軽やかに受け流した。感涙にむせぶ一成から離れて凛のほうへと向き直った少女には、動揺の色はまったくない。

「いえ。むしろ大恩があるからこそ、私は貴女の敵に回らなければならない」

「どーいう理屈よ、それは」

 不機嫌にうなる凛に対して、セイバーは冷ややかに告げた。

「貴女にはあまりに公共意識がなさ過ぎる。そのワガママさは、いつか貴女自身の身を滅ぼす。だから私は今のうちに、貴女の悪癖を正さなければならないのです」

 そして騎士王は傲然とあごを上げ、己の主に対して宣戦を布告した。

「公共意識を忘れた者が、どのような末路をたどるのか。それを私が教えてさしあげましょう。貴女を徹底的に叩き潰すことによって」

「……っ!」

 ぶちり、と。何かが切れる音がして――
 次の瞬間、あくまがゆらりと立ち上がった。

「へえ。人が大人しくしていれば、ずいぶんと思い上がってくれるじゃない」

 声は低く、しかし鋭く。英霊の迫力に怯えていた先ほどまでの面影は微塵もない。冷たい視線を向けてくるセイバーを、凛は真正面からじろりと睨み返した。そこらの小学生ならコンマ2秒で泣いて逃げだす目つきの悪さだ。

「ここまでコケにされたんじゃあ、いくら温厚なわたしでも黙ってられないわ。生意気な従者をきちんと躾けておくのは、主としての義務だし……ね」

 ――かつてとある公園に、魔王として君臨した少女がいた。その華奢な腕でご近所の少年全員を屈服させたちびっこがいた。彼女は支配したくて支配したのではない。自分に逆らう人間を片っ端からシメていくうちに、いつしか専制君主として恐れられるようになったのだ。
 生まれたときから傍若無人。ナチュラルボーンいじめっこ。たとえ長じて背が伸びようと、血の気の多さは変わらない。

「いいわよセイバー。あなたの無謀な挑戦を受けてあげる。その上であんたに、身の程ってものを――思い知らせてあげるわ」

 赤いあくまこと遠坂凛は、これ以上ないほど危険な笑みを浮かべて、騎士王の宣戦布告を受け取った。
 ゆっくりと、空気が張り詰めていく。お互いを射抜く二人の眼光は、もはやバチバチと火花を散らすまでに白熱している。刻々と緊張の高まる部屋の片隅で、弓道部の主将は一人、ただただ頭痛をこらえていた。

「……あー。その、なんだ」

 今まさに始まらんとする二大かいじゅう大決戦。天を見上げて忘我の涙を流す生徒会長。生徒会室のど真ん中に突如出現した異次元空間を横目に、綾子はこっそりとつぶやいた。

「どうやってオチをつけるんだ、これ?」






管理人の感想

 えーと、とりあえずまあなんだ。今回一番気になった部分はこれだ。

 >士郎と自分の仲は――残念ながら――あくまで友情なのだから。
 >「おまえがあんな男らしい表情をするものだから、思わず見とれてしまったではないか! くうっ、ものすごく格好よかったぞ、衛宮!」

 残念。
 残念ながら。――なにが残念なんだ。あと見惚れるな。つか、今回全般的に一成妖しすぎです。うおおい、薔薇の背景と薫りがするぜー。

 まあ、そんな妖しさ一杯の一成は置いとくとして、いやなんちゅうかもはや部活はあんまり関係ない世界に突入しつつありますね。凛 VS セイバーの真っ向勝負なわけですし。ぬぅ、楽しい展開だ。しかしまあ、この展開で一番割を食うのはもう間違いなく主人公の人なんですけどね。哀れ士郎。
 ちなみに今回一番ウケたのは、最後のナチュラルボーンいじめっこのくだり。激しくウケましたです。
 うん、今回も面白かった。後編が非常に楽しみです。ほんと、どうやってオチつけるんだろう、これ?


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