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 戦を前にして、少年は黒筒を握りしめ、柵の下に座り込んでがたがた震えていた。

 柵の外では、世界中から集まった完全武装の騎士数万が、少年の街に滅びをもたらすべく突撃の準備を整えている。
 柵の内側で街を守るのは、少年を始めとした戦いなどろくに知らない市民ばかりが2000人。別の街から傭兵に率いられた2000の農民軍が加わったとはいえ、その総数は5000に満たない。
 勝敗の行方は明らかだった。そもそも戦いにすらならない。少年は軍馬に踏み潰されて17年の短い生涯を終え、少年の街は明日の日の出を見る前に廃墟と化すだろう。

 そのことを、少年は知っていた。知りながらなお戦いの最前線に残り、恐怖に膝を震わせながらも武器を手放そうとはしない。
 彼には、亡き父親との約束があった。心臓を患い、若くして眠るように死んでしまった父は、息を引き取る直前に息子を呼び、まだ12歳になったばかりの彼に静かに言いつけた。残された家族を守るのは、おまえだと。
 少年はその言葉を生真面目に受け止めた。口下手で実直な靴屋だった父の、それが最期の言葉だったから。大好きな彼の最後の言いつけならば、自分はそれを守らなくてはいけない。
 実際には母親と6歳年上の姉に守られて少年は成長していったのだが、彼はいつだって家族の守護者だという気概を持っていた。弱虫の妹を泣かす奴にはたとえ誰だろうと喧嘩を挑んだし、仕事で忙しい母や姉に代わって幼いころから家事を取り仕切ってきた。おかげで今は、不器用な姉よりもよほど美味しい朝食を作ることもできる。

 だから少年は、街の外に軍隊が迫っていると聞いたとき、家族の反対を押し切って真っ先に市民軍に志願したのだ。
 街の中に騎士たちが乱入すれば、彼らは家々から家財を略奪し、男を殺し女を犯すだろう。アーサー王物語に描かれた騎士道はすでに昔の話。現在の騎士は、己の利益のために従軍し、己の快楽のために戦う職業的戦闘集団に過ぎない。もちろん少年の家族も、異国から来た野獣どもの手におちる。そんな事態を手をこまねいて傍観することは、少年には絶対にできなかった。

「構えろ!」

 戦闘準備の号令が掛かり、少年はかねてより訓練していた通り、柵の向こうに自らの武器を構えた。ピーシャラチと呼ばれるその鉄の筒は、戦に明け暮れるイタリアより渡ってきたものだ。轟音とともに鉄の玉を飛ばすそれはたしかにすさまじい威力を秘めていたが、数は300丁ていどしかなく、騎士の突撃を跳ね返すにはあまりに足りないように思えた。だが今は、神の恩寵を信じてこの武器を振るうしかない。

 それにしても――と少年は思った。味方のこの貧弱さはどうだろう。分厚い鎧で身を守りつつ猛烈な速度で突進してくる騎士たちに対抗できるのは同じ騎士か、あるいは長槍を構えて密集陣形を取った傭兵だけなのだが、そんな連中を雇えるだけの財力を持つ大貴族はもうこの街にはいない。早々に寝返るか、自分の領地に逃げ帰ってしまった。残っているのは、中小の貴族と、粗末な皮鎧を着た市民と、白い農作業服を着た農民だけ。騎馬隊の突撃を阻むべく作られた柵にしても、馬車の荷車を鎖でつなげただけの急造品だ。

「まったくもって不公平だ。俺たちは、正しい教えを奉じているのに」

 少年は悔しさに臍を噛んだ。この窮状を見かねた正義の軍隊が、どこからか援軍に駆けつけないだろうか。たとえばブラニークの山に眠る建国王が、ボヘミアの地を荒らす異国者を蹴散らしに来るとか。騎士道を忘れた騎士たちに、かのアーサー王が鉄槌を下しに来るとか。
 少年がそんな埒もない夢想にとりつかれるのも仕方のないことだった。彼は喧嘩は強くても一介の少年に過ぎず、戦など実際に経験したことはない。それがこんな絶望的な戦場に立たされれば、逃げ出したところで責めることはできないだろう。踏みとどまっているだけでも賞賛されるべきだった。

 都合のよい援軍はついに現れないまま、敵の攻撃準備が整った。号令とともに、丘の向こうから無数の騎馬がまっしぐらに突き進んでくる。一年前に皆が平等に暮らせる街に生まれ変わったプラハは、その短い自治の歴史を今まさに終えようとしていた。

 敵を目の前にして、少年も覚悟を決めた。たとえ足を引き裂かれようと、残った腕でしがみついて街への侵入を阻止しよう。手足を失おうと、頭だけで噛み付いてひとりでも多く倒そう。病気がちの母と、食いしんぼで勝気な姉と、心優しい自慢の妹は、俺が絶対に守り抜いてみせる。歯をがちがち鳴らしながら、少年は心の中で亡き父に誓った。
 敵の騎馬突撃に先駆けて、無数の矢が放たれた。それは少年たちを守る柵に雨あられと降り注ぎ、たちまちハリネズミのようにしてしまう。しかし市民兵たちへの被害は軽微にとどまった。次に襲いかかった騎馬突撃もまた、柵に阻まれ突進が止まる。馬が大きく前脚を上げ、馬上の騎士がその制御におおわらわとなった瞬間、少年の部隊に発砲命令が下った。
 少年は無我夢中で柵の向こうめがけて撃った。当たったかどうかを確認する余裕などないままに、ピーシャラチを背後に控えた味方に渡す。この武器は一度使うと火薬の燃えカスで中身が詰まってしまうので、一度掃除してから弾を込め直さないといけない。市民軍の司令官はこの弱点を、射撃実行班のほかに銃身掃除班と発射準備班を編成することで補ったのだ。少年はただ、後方で味方が装填してくれたピーシャラチを撃つだけでよかった。
 戦場はたちまちピーシャラチの白煙と轟音で満たされた。目は煙に汚されてぼろぼろと涙をこぼし、耳は音を聞く機能を放棄して悲鳴をあげる。もはや少年には戦況がどうなっているのかもわからない。しかし彼は撃ちまくった。ときおり柵の向こうから長槍が突き出されて少年の命を奪おうとするが、それも無視してひたすら引き金を引く。

「俺が、俺が守らなきゃ」

 あまりの恐怖に、かえって心が麻痺してしまったのだろう。少年の震えは止まっていた。彼は呪文のようにただその一言だけを繰り返し、後方からピーシャラチを受け取っては白煙めがけて撃ちつづける。彼にできることはそれだけだったから、彼はそれをひたすらに繰り返した。

「おい、はやくピーシャラチをよこせ」

 ――いったい何時間がたっただろうか。
 少年が後方に差し出した手に、いつまでたっても何も戻ってこない。野獣どもから街を守れるかどうかの瀬戸際だというのに、少年にとっての唯一の武器が返ってこない。苛立った少年は背後を振り返って叱責を飛ばした。だが返答はなかった。いや実際には何か答えがあったのかもしれないが、一時的な難聴に陥った少年には何も聞き取れなかったのだ。
 そして返答の代わりに、背後の兵士が歓喜の涙を流して抱きついてきた。

「――! ――!」

「なにしてるんだよ、はやくピーシャラチを」

 言いかけて、少年は周囲の様子の変化に気づいた。あちこちで人々が抱き合い、天に向かって祈りを捧げ、涙を流し大騒ぎしている。彼は呆然と周囲の狂騒を見回してから、ふと気づいて柵の向こうに視線を転じた。いつのまにか白煙が晴れ、戦場がその姿を現していた。

「……!」

 そこにあったのは、見渡す限りの死屍だった。ひしゃげた兜が、泥まみれの騎士たちの死体が、痙攣する馬の死骸が、丘の向こうまで続いている。はるか遠くでは、柵から打って出た農民兵たちが敗走する騎士に追いすがり、穀竿を鎧に引っ掛けて地面に打ち倒している。

「おお……!」

 ――少年たちは、勝利していた。
 急造のいかにも頼りなく見えた柵は、ロングボウ戦術も騎馬突撃も完璧に防ぎきってみせた。300丁の新兵器は、分厚い鎧を貫いて騎士たちを地面に打ち倒し、戦に慣れた軍馬をその轟音で恐慌状態に陥れた。かくして全欧州からかき集められた空前の規模の軍隊はあっけなく蹴散らされ、ほうほうの態で逃げ帰ったのだ。街の防衛隊に被害はほとんどなく、多くの市民と農民が元気な姿で家に帰り着くことができよう。それは、おそらくは戦史上にも他に例のない、完全無欠の大勝利であった。

 少年は大地にひざまずき、神に祈りを捧げた。正しい教えを守ったプラハの人々は、その正しさを神に認められて圧倒的な数の敵軍を破った。いわれなき罪によって処刑されたフス先生の無念はここに晴らされ、いわれなき罪によって虐殺されようとしていたプラハの街の人々は守られたのだ。それも、ほかならぬプラハ自身の力によって。
 祈りを終え、少年は戦場を仰ぎ見た。この戦いを指導した傭兵たちが、騎士の掃討を終えて戻ってきていた。老境に達した片目の司令官が、さすがに疲れた様子ながらも部下たちをねぎらっている。部下たちもまた歓喜を爆発させ、大いなる勝利を喜ぶ。
 やがて彼らは声を一つにし、新しく作られた賛美歌コラールを歌い始めた。


汝、神の戦士にして神の法たる者たちよ
神の加護を祈り、神の慈悲を信じよ
さすれば神の恩寵は正しくもたらされ
勝利はわれらの手に舞い降りん



 ひどく単純で、無骨な歌詞。おまけにまだ耳の機能が回復しきっていない少年には、その旋律もほとんど聞き取れない。しかし今の彼にとって、これほど神々しく響き渡る調べはなかっただろう。それはまさしく、正しき人々を守る神の戦士の歌だったのだ。

 少年は荷車を乗り越え、片目の司令官たちのもとへと歩き始めた。新しい賛美歌を口ずさみながら、父に誓ったものとは別の誓約を心に定める。

「俺はこの身を捧げよう。俺の家族を、俺の街を、正しき教えを奉じる人々を守るため、この身を剣としよう。俺は神の戦士となろう――」

 たしかに敵は追い払った。しかしそれが一時凌ぎに過ぎないことは、学のない少年にとっても自明のことであった。教皇は再び異端撲滅を叫んで十字軍を編成するだろう。ローマ帝国皇帝も、ボヘミアの統治権を狙ってまた軍を差し向けてくるに違いない。ボヘミアの国内においても、プラハの動きを苦々しく感じる勢力は多数存在した。
 戦いは始まったばかりだった。プラハの街を、理想に燃える人々を、誰かが我が身を剣と化して守らなければならない。

 けれども、なにより少年の心を決めたのは、目の前の光景だった。

 プラハ市内で息を潜めていた市民たちが城壁を出て、戦いの殊勲者たる片目の司令官の周囲に押し寄せている。そこではビールが酌み交わされ、肩が組まれ、足が踏み鳴らされ、そして身分や貧富の区別なく、あらゆる人々が声を一つにして、ひとつの歌を唱和していた。

 少年にとってそれは、例えようもないほど美しいものに思えたから。
 自らの身を捧げてでも、守るべきものに思えたから。

 彼は、神の戦士の一員となることを、固く心に誓ったのだ。





管理人の感想

 感想は第二話にて纏めて書いてます。


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